カプクル(その他表記)Kapıkulu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カプクル」の意味・わかりやすい解説

カプクル
Kapıkulu

オスマン帝国史上においてスルタンに直属する兵士および役人,宮廷侍従の総称。これらの人々はデウシルメ戦争による捕虜から構成された。身分的にはスルタンの「奴隷」であるが,オスマン社会では特権的支配層の一角を形成した。

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世界大百科事典(旧版)内のカプクルの言及

【マムルーク】より

… マムルーク朝はアイユーブ朝時代に編制されたマムルーク軍団によって樹立された王朝であるが,この王朝の崩壊後も,マムルーク軍人は在地の支配者として19世紀初頭に至るまでエジプト・シリアの実権を保持し続けた。イランのサファビー朝では軍事力強化のためにグルジア人マムルークが採用され,またオスマン帝国でも18世紀初頭に至るまでは奴隷兵としてのカプクル軍団,とりわけ,キリスト教徒の子弟を徴募して編制したイエニチェリ軍が,ヨーロッパやアラブ世界の征服に大きな役割を演じた。 少年のマムルークの中には将来の出世を見込んで自ら身を売る者があり,奴隷商人の手を経てバグダードやカイロに運ばれると,そこでアラビア語やイスラムについての教育と弓や馬術などの軍事訓練を受けた後,奴隷身分から解放されてスルタンのマムルーク軍団に編入された。…

【メフメト[2世]】より

…53年のコンスタンティノープル(イスタンブール)征服は,ビザンティン帝国を消滅させて外患の種を除く一方,内にはトルコ貴族の勢力を弱め,スルタンの権力を増大させた。メフメト2世はイエニチェリに代表されるカプクル(宮廷奴隷)を重用し,専制君主を戴く官僚制国家の体制を確立した。対外的にはアナトリアとバルカンの両方面に征服活動を続行し,セルビアを併合,ボスニアを服属させ,ペロポネソス半島の大部分を占領し,アドリア海の支配をめぐってベネチアと戦った。…

※「カプクル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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