日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
クストーザ・ノバーラの戦い
くすとーざのばーらのたたかい
オーストリアに対する第一次独立戦争(1848~49)でイタリアの敗北を決定した二つの戦い。クストーザCustoza、ノバーラNovaraは、ともにイタリアの地名。クストーザの戦いは、1848年7月23日から25日にかけて、サルデーニャ王国軍とオーストリア軍との間で行われた。ペスキエーラの陥落後、オーストリア軍司令官ラデツキーは、ベローナ方面に移動するサルデーニャ軍の計画を見破り、その作戦を阻止するため7月23日サルデーニャ軍を襲撃して撤退させた。翌24日国王カルロ・アルベルトの率いるサルデーニャ軍は、わずか2万の兵力でクストーザに攻撃をしかけた。ラデツキーは5万の全兵力を投入してこれを包囲し、撃破した。8月8日にサラスコの休戦が成立した。一方、ノバーラの戦いは、49年3月23日、シャルノフスキー将軍の率いるサルデーニャ軍とラデツキーのオーストリア軍との間で行われた。この戦闘は、サラスコの休戦期限3日後にミラノの西方のノバーラで起こり、サルデーニャ軍は決定的な敗北を被った。カルロ・アルベルトはオーストリアに休戦を申し入れ、王位を皇太子に譲ったのち、ポルトガルに亡命した。
[重岡保郎]