天皇の位を継ぐべき皇子。たんに太子ともいい,〈ひつぎのみこ〉〈もうけのきみ〉,東宮,春宮,儲君(ちよくん)ともいう。皇太子は,天皇在位中に,皇子,皇孫,皇兄弟またはその他の皇親のうちから定められ,立太子の儀が行われるのが恒例である。立太子の儀式がはじめて知られるのは,《貞観儀式》の立皇太子儀である。それによると,紫宸殿の前庭において,親王以下百官が参列し,宣命大夫が立太子の宣命を読み上げるもので,この儀は近代に至るまで踏襲されている。また,醍醐天皇が皇子保明親王の立太子に際して,〈壺切の剣〉を賜ったことにはじまり,歴代皇太子を立てるにあたり,護身の剣として授けられるのが例となった。立太子の儀は,後小松天皇(在位1392-1412)から後西天皇(在位1654-63)まで300年の間中絶し,霊元天皇の1683年(天和3)に再興した。ただし,再興のときには立太子の儀に先立って儲君治定のことがあり,以後歴代に踏襲されたので,皇太子の別称であった儲君は,立太子の儀が行われる以前の皇嗣を指すこととなった。皇太子は,天皇の死あるいは譲位によって践祚するのが恒例であるが,種々の理由により皇太子が改替されることもあった。
1889年皇室典範が制定されると,皇嗣は典範の規定する順位に従い,生まれながらにして定まることとなり,皇嗣が皇子であれば皇太子,皇孫であれば皇太孫と称することになった。したがって立太子あるいは立太孫の儀も,皇嗣を定めるものではなく,すでに皇嗣たる地位にあることを広く宣示するものとなった。1947年制定の皇室典範の皇太子あるいは皇太孫に関する規定もほぼ同じである。古くは,聖徳太子,中大兄皇子,草壁皇子などのように皇太子摂政といわれ,皇太子は天皇に代わって万機を摂行する立場にあったが,律令時代になると,天皇が行幸などで不在の際の皇太子監国の制を除き,皇太子が天皇に代わって政治を行うことはなくなった。近代に至り,1921年に皇太子裕仁親王が摂政に任ぜられたのは,皇室典範の規定に基づくところである。
執筆者:柳 雄太郎
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皇位を継承するべき皇子で、太子ともいう。その居所や役所の名から、東宮(とうぐう)、春宮(とうぐう)(はるのみや)、坊とも称し、天(あま)つ日嗣(ひつぎ)(皇位)を継ぐ皇子の意味で「ひつぎのみこ」ともいう。儲君(ちょくん)、儲弐(ちょじ)などの称もある。律令(りつりょう)には、とくに皇太子の規定はなく、皇女、皇弟、皇孫などが皇太子となる場合もあり、また1人とは限らなかった。皇太子の身位は、立太子礼(りったいしれい)によって定まった。立太子礼では、平安前期の宇多(うだ)天皇以後、皇太子の護身刀とされる壺切(つぼきり)の剣(つるぎ)が相伝された。立太子礼は、室町初期の後小松(ごこまつ)天皇以後行われなくなり、江戸前期に至って霊元(れいげん)天皇の皇嗣(こうし)(東山(ひがしやま)天皇)の立太子にあたり復興した。310余年に及ぶ立太子礼の廃絶中は、皇嗣が皇太子と称することなく皇位についたが、以後は、まず皇嗣を定めて儲君と称し、のち立太子礼を挙行した。1889年(明治22)「皇室典範」が制定され、定められた順序により、皇嗣たる皇子(または皇孫)が、生まれながら皇太子(皇太孫)となることとなった。そのため立太子礼は、皇嗣であることを改めて内外に示す儀式となった。皇太子(皇太孫)は満18年で成人となり、以後は摂政(せっしょう)の第一順位者となる。皇太子の順位は、三后(太皇太后、皇太后、皇后)に次ぎ、同妃は皇太子に次ぐ。皇太子の居所は東宮御所といい、東宮職が置かれる。
現行の「皇室典範」では、皇嗣たる皇子(男子)または皇孫を皇太子、皇太孫とし(8条)、満18年の成年に達した皇太子、皇太孫は摂政の第一順位者となる(17条)。現天皇のもとでの皇太子徳仁(なるひと)親王の立太子礼は、1991年(平成3)2月22日挙行された。
[村上重良]
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ひつぎのみこ・儲君(もうけのきみ)・春宮(とうぐう)・東宮・太子とも。皇位を継ぐべく定められた者。天皇の在位中に皇子・皇孫・皇兄弟などの皇親のうちから定められ,必ずしも皇子とは限らなかった。「日本書紀」では歴代天皇について皇太子を定める記事があるが,実際に1人の皇族を皇位継承予定者に定める制度が確立するのは,7世紀のことと思われる。律令制のもとでは,皇太子は令旨(りょうじ)とよばれる様式の文書を発行し,天皇が行幸などで不在の場合,天皇大権の一部を行使できる皇太子監国(げんごく)の制度も存在した。皇太子のための官司としては春宮坊(とうぐうぼう)がおかれ,皇太子の経済を支えるため雑用料が毎年支給された。皇太子を定めることを天下に告げる立太子の儀も,8~9世紀に整備され,醍醐天皇以後は,立太子にあたり護身の剣を天皇から賜うことが行われた。霊元天皇の1683年(天和3)以後,立太子の儀に先だって儲君を治定することが行われたが,1889年(明治22)に制定された旧皇室典範では,皇位の継承は典範の定める順序に従って行われることとなり,皇嗣が皇子であれば皇太子,皇孫であれば皇太孫と称することとなって現在に及んでいる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…なお大婚は天皇が満17歳に達した後に行うとし,皇后たるべき人(后氏という)は満15歳以上の皇族または特定の華族の女子と定め,大婚と同時に立后の詔書を発することとしたが,第2次大戦後,皇室典範をはじめ皇室関係法令の改廃が行われ,后氏に対する制限が解除されるなどの変更が加えられている。しかし皇太子の婚儀は大婚に準じて行われるとの皇室親族令の規定により,1959年の皇太子の結婚式は旧皇室親族令の規定に準拠して行われた。【米田 雄介】。…
…皇太子の居所,転じて皇太子の別称。五行説で東は春にあたるところから,春宮とも記す。…
…皇太子の付属職司。和訓は,《和名抄》によると〈みこのみやのつかさ〉。…
…古代,皇太子および中宮に対する資養のために諸国におかれた経済制度。令制では臣下に対する封戸(ふこ)と同様のものらしく,《延喜式》では〈東宮湯沐二千戸〉とみえ,令制では〈中宮湯沐二千戸〉がみえる。…
…皇太子に冊立することをいい,皇嗣が皇子であっても皇孫,皇兄弟あるいはその他の皇親であっても,皇太子と称した。《貞観儀式》に〈立皇太子儀〉があり,それによると立太子の儀は紫宸殿の前庭において親王以下百官参列のもとに行われ,宣命大夫が立太子の宣命を宣する。…
※「皇太子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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