日本大百科全書(ニッポニカ) 「クラコフ」の意味・わかりやすい解説 クラコフくらこふФёдор Давыдович Кулаков/Fyodor Davïdovich Kulakov(1918―1978) ソ連の政治家。クルスク州に生まれる。1940年以来の共産党員。農業学校卒業後、各地で農業専門家、党・ソビエト活動家として働く。1961年の第22回党大会で中央委員に選ばれる。1965年書記局員兼農業部長、1971年政治局員となる。ポリャンスキー、ボロノフ失脚後は党指導部における農業政策の責任者となる。ブレジネフの後継者候補のなかでも若手で精力的な人物としてとくに有力視されていたが、1978年7月病気で急死した。[塩川伸明] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クラコフ」の意味・わかりやすい解説 クラコフKulakov, Fëdor Davydovich [生]1918.2.4. フィティシュ[没]1978.7.17. モスクワソ連の政治家。 1938年製糖工場技師,40年共産党加入。 41~55年党の経済部門機関員,55~59年ロシア共和国農相代理,59~60年同穀物生産相。 61年党中央委員,62~64年党スタブロポリ地区委員会第一書記。 L.I.ブレジネフ共産党書記長の直系人物として,65年農業問題担当の党中央委員会書記に登用され,71年党政治局員となった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by