コンファロニエーリ(その他表記)Federico Confalonieri

改訂新版 世界大百科事典 「コンファロニエーリ」の意味・わかりやすい解説

コンファロニエーリ
Federico Confalonieri
生没年:1785-1846

ミラノの自由主義貴族。ナポレオン支配下,次いでウィーン会議後にオーストリアの支配下に入ったロンバルディアの自由と独立を求めて,カルボナリ党など当時の秘密結社運動と接触を保ちながら政治運動を進める。1821年のピエモンテ革命とのつながりが発覚してオーストリア警察に逮捕され,大規模な裁判ののち終身刑に処せられたが,37年に自由の身を取り戻した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

関連語 北原

367日誕生日大事典 「コンファロニエーリ」の解説

コンファロニエーリ

生年月日:1785年10月6日
イタリアの愛国者
1846年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む