カルボナリ党(読み)かるぼなりとう(英語表記)Carboneria イタリア語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルボナリ党」の意味・わかりやすい解説

カルボナリ党
かるぼなりとう
Carboneria イタリア語

19世紀前半のイタリアとフランスに存在した秘密結社。「炭焼党」と訳す。1776年にバイエルン公国で創立された「啓明」結社は、私有財産の廃止による平等な社会を目ざす革命的秘密結社であった。創立者ワイスハウプトのイタリア人協力者コスタンツォ侯爵はその後帰国し、1786年にナポリフリーメーソンの装いの下に「啓明」結社の支部を結成した。19世紀になってこの結社に新しい組織形態と名称をもたらしたのがフランス人の旧ジャコバン党員ジョセフ・ブリオであったといわれる。彼はフランシュ・コンテシャルボニエールという「炭焼組合」を模した秘密結社の一員で、1806年にナポリに赴任した。ブリオを通じて新しい党組織は、社会を「森」、政府とその手先を「狼(おおかみ)」、集会所を「山小屋」、支部細胞を「炭売場」、党員を「善良な従兄弟(いとこ)」とよぶようになった。こうしてカルボナリ党は10年ごろナポリの「啓明」結社を母胎に、ナポレオン体制に反発するジャコバン的共和主義者を結集する秘密結社として誕生した。党はまもなく南部一帯に広がり、ウィーン体制下ではさらに中部から北部にまで組織を広げ、とくに北部ではブオナローティの指導する秘密結社と結び付いて発展した。カルボナリ党は、1830年代初めまで反絶対主義闘争の中核勢力としてリソルジメント初期の運動を代表した。党員は経験に応じて徒弟親方、大親方の3段階に分けられ、各位階にはそれぞれ教義があったが、農地均分法に基づく平等社会の実現を掲げた大親方の位階は、後年ブオナローティの指導を受けた組織にのみ存在した。初期の運動は、ジャコバン主義の拠点であった軍隊を中心に起こり、その実践目標は立憲政府の樹立外敵駆逐であった。1820年7月ナポリの党が起こした反ブルボンの反乱は南部各地に広がり、立憲革命に成功したが、翌年春オーストリア軍の介入により鎮圧された。21年春のピエモンテの革命も同様に失敗に終わり、同時にイタリア各地の専制政府は弾圧に乗り出した。危機に陥った党は本拠をパリに移したため、運動はイタリアを離れてフランスやスペインに広がった。その後ブオナローティはイタリアの運動を再組織し、31年の中部イタリア革命を準備した。しかしこの革命の鎮圧と34年のリヨン蜂起(ほうき)の失敗、青年イタリア党の発展により、カルボナリ運動は急速に衰えた。

[重岡保郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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