シェイヒサイトの乱(読み)シェイヒサイトのらん

改訂新版 世界大百科事典 「シェイヒサイトの乱」の意味・わかりやすい解説

シェイヒ・サイトの乱 (シェイヒサイトのらん)

トルコ共和国成立期のクルド人反乱。1925年2月の大統領ケマル・アタチュルクの政教分離政策に反対するクルド人が反乱を起こした。反乱はナクシュバンディー教団の長,シェイヒ・サイトŞeyh Sait(1865-1925)によって指導され,またたく間に東南アナトリアに拡大した。トルコ政府はただちに軍隊を派遣して,これを鎮圧した。反乱首謀者46名は逮捕され,6月19日〈独立法廷〉において死刑判決を受け,翌日ディヤルバクルで処刑された。この反乱以後,トルコ共和国のクルド人の勢力は弱まり,宗教運動の背後にあった独立運動も鎮静化した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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