ナクシュバンディー教団(読み)ナクシュバンディーきょうだん(英語表記)Naqshbandī

改訂新版 世界大百科事典 「ナクシュバンディー教団」の意味・わかりやすい解説

ナクシュバンディー教団 (ナクシュバンディーきょうだん)
Naqshbandī

中央アジアブハラを本拠としたイスラム神秘主義教団タリーカ)。アブド・アルハーリク・グジュドゥワーニー‘Abd al-Khāliq Ghujduwānī(?-1179・80。1220没ともいう)を創設者として12世紀後半以来ブハラを中心に活動を続け,一般にはホジャ派として知られていたが,14世紀にバハー・アッディーン・ナクシュバンドBahā' al-Dīn Naqshband(1317-89)が出現すると,彼の名にちなんでナクシュバンディー教団と呼ばれるにいたった。教義・修行方法は厳格なスンナ主義,シャリーア主義を貫き黙誦による心のジクルによって神との合一を目指し,他の諸教団にみられるサマー(音曲などを聞きつつ陶酔境に入る修行方法),遊行,独居といった修行方法を禁じ,あくまで民衆と交わりつつ心の内面を鍛練して高い宗教的境地に達することを目指した。15世紀にはティムール朝の支配者たちの支持を得て発展し,とくに教団の長ホジャ・アフラールKhwāja Aḥrār(1404-90)の時代には,莫大な財産を背景に政治面においても大きな影響力を発揮した。14世紀に東トルキスタン,16世紀にはアナトリア,インド,18世紀にはシリア,ボスニアバルカン半島),19世紀にはスマトラ,ボルネオ,マレー半島,クルディスターン(イラン北西部,イラク北部)などにも進出して,諸地方の宗教運動史上に残る重要な役割を演じた。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ナクシュバンディー教団」の解説

ナクシュバンディー教団(ナクシュバンディーきょうだん)
Naqshbandīya

中央アジアのブハラ拠点に,12世紀後半に創設されたスンナ派スーフィー教団。ティムール帝国時代以降,君主と民衆の仲介者として政治的・経済的に影響力をふるい,東トルキスタン,インド,オスマン帝国などにも広まった。

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世界大百科事典(旧版)内のナクシュバンディー教団の言及

【カシュガル】より

…そのため,16世紀初頭,モグールのハーンはこの地方に進出して,その直接支配を開始した(カシュガル・ハーン国と呼ぶ)。一方,16世紀の末以来,この地方には西トルキスタンからナクシュバンディー教団の神秘主義者たちが到着,ハーンらの支持をも得てその勢力を拡大し,17~18世紀,一般にカシュガル・ホジャ家と呼ばれるこの教団の指導者たちの一族は,宗教面のみならず,政治・経済面でもハーンと並ぶほどの実力を発揮したとも伝えられる。しかしこれらのハーンやホジャたちも17世紀の後半にはジュンガル王国の支配下に入り,ついで18世紀の中葉には清朝の宗主権を認めることを余儀なくされた。…

【ホータン】より

…しかし16世紀初頭,モグールのハーンがカシュガルを制圧してその直接支配を開始すると,この地もその支配下に組み入れられた。一方この地には,17~18世紀,カシュガル,ヤルカンドを本拠としたナクシュバンディー教団の神秘主義者たち(カシュガル・ホージャ家)の勢威も及び,この地の宗教生活に影響を与えた。しかしこれらのハーンやホージャたちも,17世紀後半にはジュンガル王国の支配を受け,また18世紀中葉には清朝の宗主権を認めたので,この地もこれら異民族の支配下に置かれた。…

※「ナクシュバンディー教団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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