日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジュルナール・デ・デバ」の意味・わかりやすい解説
ジュルナール・デ・デバ
じゅるなーるででば
Le Journal des débats
第二次世界大戦前のフランスの有力紙。フランス革命の最中の1789年8月29日、国民議会議員フランソワ・ジャン・ボードワンが議会の議事内容を伝えるために創刊、99年ベルタン兄弟が買収して、政治・文芸紙に育てた。ベルタン兄弟はとくに広告や劇評を掲載する別欄を初めて設けるという新機軸を打ち出し、これが評判をよんで文芸欄を独立させるきっかけになった。1804年3月のアンギャン公処刑の報道でナポレオンの不興を買い、翌年その側近フィエベが主筆として送り込まれ、タイトルも『ジュルナール・ド・ランピール』Journal de l'Empire(帝国新聞)と改題させられた。ナポレオン失脚後ベルタン兄弟が経営権と題号を回復、その後の政治変転のなかで穏健共和派としての立場を守りつつ、フランスの有力紙として成長した。『ル・タン』『フィガロ』と並ぶ保守系政治新聞として政財界人、学者などに愛読された。1944年廃刊。
[伊藤力司]