セイアヌス
Lucius Aelius Seianus
生没年:前20から前16-後31
ローマの政治家。セヤヌスSejanusともいう。母方は元老院貴族だが,父は騎士。後14年,ティベリウス帝即位と同時に,親衛隊長となる。従来分散していた親衛隊宿舎をウィミナリス丘に集め,隊を強化する。これを背景に皇帝に対する影響力をしだいに強めた。帝位に近い皇帝の血縁者を除く計画をたて,まず皇帝の息子ドルススの妻リウィラと情交を結び,その手引きでドルススを暗殺。妻エピカタを離縁し,リウィラとの結婚を願い出たが皇帝に拒絶される(25)。ついで皇帝にすすめてカプリ島に隠棲させ,首都ローマで統治の実権を握る。帝位を狙い,邪魔者であるゲルマニクス一族を次々と除こうとする。29年,その妻大アグリッピナとその長男ネロを追放・投獄,次男ドルススを幽閉した。31年,彼の陰謀と野心が皇帝の知るところとなって免職・逮捕され,即日,エピカタから生まれた息子とともに処刑された。
執筆者:弓削 達
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のセイアヌスの言及
【ティベリウス】より
…彼の治下,パンノニア,下部ゲルマニアなどの軍団の反乱,パルティアとの紛争など困難が続き,ゲルマニクスの皇帝擁立事件もあったが切り抜け,17年カッパドキア属州が設置された。内政においては,親衛隊長[セイアヌス]の専横を許し,その差金で26年カプリ島に隠棲,そこからセイアヌスを通して統治したが,その情報によって絶えず暗殺と陰謀におびえ,100以上の反逆罪裁判によって多くの貴族の生命と財産を奪った。しかし真に帝位を狙っていたのはセイアヌスで,彼によるティベリウスの息子ドルススの暗殺(23),それに先立つ甥ゲルマニクスの急死(19)の後は,後者の3人の息子が皇帝に血縁ある男性であったが,そのうち末子ガイウス(後の皇帝カリグラ)を除く2人も,セイアヌスによって投獄され自殺に追い込まれた。…
【ローマ】より
… 続く皇帝ティベリウス(在位,後14‐37),カリグラ(在位37‐41),クラウディウス1世(在位41‐54),ネロ(在位54‐68)は,アウグストゥスのユリウス家と,妻リウィアのクラウディウス家の枠内で帝位が移ったので[ユリウス=クラウディウス朝]と呼ばれる。ティベリウスは元老院との協調性において欠けるところがあり,親衛隊長セイアヌスの専断のゆえもあって,政治的密告と恐怖政治が続いた。カリグラは狂的に独裁的傾向を強め,プリンキパトゥスが潜在的帝政にほかならないことを露呈した。…
※「セイアヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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