タラス川の戦(読み)タラスがわのたたかい

百科事典マイペディア 「タラス川の戦」の意味・わかりやすい解説

タラス川の戦【タラスがわのたたかい】

中央アジア,天山山脈北西麓のタラス河谷にあるオアシス都市タラスTalas近郊で,751年に行われた唐の将軍高仙芝とイスラム軍との間の戦い。唐軍は大敗し,唐の西方における勢力は後退した。この戦いで捕虜となった中国紙漉(かみすき)工が西方に製紙法を伝えた。

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世界大百科事典(旧版)内のタラス川の戦の言及

【タラス】より

…北西約90km,タラス川中流の州都ジャンブル付近に,かつてシル・ダリヤ方面とイリ盆地など東西を結ぶ交通要地で天山北部の東西交易地として栄えたオアシス都市タラスがあった。この町は,歴史上,中国,イスラム,遊牧民族などの諸勢力の交渉・衝突の場となったが,とくに751年,高仙芝の唐軍とアッバース朝のイスラム軍がこの付近で戦った〈タラス川の戦〉は有名である。この戦いは,安西都護高仙芝のタシケント攻撃に対して,ソグドなどのオアシス都市国家がアッバース朝の援助を求めて反撃したことが原因といわれるが,双方数万の兵による戦闘は唐軍の大敗に終わった。…

【東西交渉史】より

…唐の都長安には多くの外国人が逗留し,長安は異国趣味にあふれた国際的都市としての様相を呈した。一方,このルートを通って,すでに6世紀の中葉には中国の養蚕術が東ローマに伝えられ,また中国の製紙法も,有名なタラス川の戦(751)を契機としてやがて西アジア,ヨーロッパへと伝えられた()。また6~7世紀における突厥(とつくつ)の勃興に伴って,天山北麓よりアラル海,カスピ海の北岸地帯を経て東ローマに至る〈草原の道〉も,〈オアシスの道〉と並んで再び脚光をあびるに至った。…

※「タラス川の戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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