改訂新版 世界大百科事典 「ツェレテーリ」の意味・わかりやすい解説
ツェレテーリ
Iraklii Georgievich Tsereteli
生没年:1881-1959
ロシア革命期のメンシェビキ党の指導者。グルジアの旧家に生まれ,モスクワ大学で法学を学ぶ。在学中に学生運動に加わり,後にメンシェビキ系の組織に入る。1905年の革命後の第2国会ではメンシェビキ党議員団の中心人物として活躍。07年に逮捕され,流刑先のイルクーツクで第1次世界大戦を知るが,ここで他の流刑囚とともに,プレハーノフらの祖国防衛主義にも,レーニンの敗戦主義にもくみさない超党派グループを組織した。このグループとともに二月革命後は政局の中心に立ち,革命後の体制擁護,公正で民主的な講和達成を骨子とする革命的祖国防衛主義の政策をすすめた。しかし夏以降受容されなくなり,十月革命がおこった。革命後はグルジア共和国の代表として,パリ講和会議(1919)や第二インターナショナルの会議に参加した。1921年グルジアにソビエト政権が樹立された後は,パリに亡命し,40年アメリカ合衆国に移住した。
執筆者:横手 慎二
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