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法学 ほうがくRechtswissenschaft; legal science

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

法学
ほうがく
Rechtswissenschaft; legal science

法律学ともいう。広義には,法および法現象を専門的に研究対象とする学問総称。大別して (1) 法および法現象の経験科学的,理論的な解明を直接の目的とする理論法学 (基礎法学ともいう) ,(2) 立法,行政,裁判に役立つ法原理,法的技術を中心に体系化されている実用法学 (応用法学ともいう) に分けられる。 (1) は法哲学法社会学,法史学比較法学から成り,(2) は法学の中心的位置を占めてきた法解釈学法政策学から成る。また狭義には法解釈学をさし,法学という場合は狭義の意味で使われることも少くない。

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうがく【法学】

広義には法を対象とするさまざまの学問の総称である。その中には法解釈学,法政策学のほか,法史学(法制史),法社会学比較法学などの法現象を事実認識の対象とする経験諸科学,および法の概念や法学の学問的性格などの問題を取り扱う法哲学が含まれる。このうち法解釈学は,法哲学とともに最も古くから発達し,かつ法学者の大多数によって研究されている学問であり,ふつう法学または法律学といえば法解釈学をさす。そこで以下,法学というときには原則として法解釈学を意味することとする(狭義の法学。

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大辞林 第三版の解説

ほうがく【法学】

法に関する学問の総称。法解釈学・法史学・法社会学・法哲学・比較法学・法政策学などを含む。法律学。 「 -者」 「 -部」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

法学
ほうがく

法に関する学問。法律学ともいう。狭い意味では法解釈学を、広い意味では法に関する学問一般をさす。広い意味の法学には、法解釈学のほかに、法哲学、法社会学、比較法学を含み、さらに法政策学、法論理学、法心理学、法人類学などを含めようとする学者もある。ドイツ語では狭い意味の法解釈学をJurisprudenzとよび、広い意味の法学一般をさす場合Rechtswissenschaftとよんで使い分けることがある。[長尾龍一]

歴史

中国の古代王朝時代にすでに法学は専門的に研究されていたと考えられ、古代エジプトやメソポタミアにも法の知識を職業とする者があったと伝えられる。またプラトンやアリストテレスなどの著作を通じて古代ギリシアにおける法理論や立法技術の発達のようすをうかがうことができるが、近代法学の直系の先祖は古代ローマ法学である。
(1)古代ローマ法学 ローマ人は権利の行使に際しては過酷であり、権利の行使を受けるにあたってはその過酷さに従順であったといわれる「法的民族」で、法律職は古代ギリシアにおいては金目当ての低劣な人種のものとされていたが、古代ローマにおいては最高の尊敬を払われたという(キケロ)。法の知識は元来神官団に独占されていたが、紀元前3世紀ごろよりこの独占が破れ、やがてギリシア哲学や修辞学などの影響のもとでローマ古典法学が成立した。とくに紀元1、2世紀には、法律家は「解答権」jus respondendiによって重要な法律問題に公権的な判断を示す権威が認められ、それらは先例として編集されて『ユスティニアヌス法典』(529)の基礎となった。
(2)近代ローマ法学 中世に一時忘れられていたローマ法は、12世紀イタリアにおいてイルネリウス、アクルシウス(1185?―1263)などの注釈学派Glossatorenによって復活され、注解学派Kommentatorenないし後期注釈学派Post-Glossatorenによって実務への適用への道が開かれた。注釈学派が『ユスティニアヌス法典』の文献的、論理的研究に専心したのに対し、バルトルス(1314―55/57)やバルドゥス(1327―1400)などの注解学派は、ローマ法の近代的適用に努め、勧告Consiliaによって実務に大きな影響をもった。初期資本主義の「普遍かつ堅固な法」jus certum et universaleへの要請と、ローマ法は神聖ローマ帝国の法であるという思想が相まって、各国からバルトルスのもとに学徒が集まり、ローマ法の普及の担い手となった。その方法論はスコラ神学の強い影響下にあり、それが「法学の神学性」の起源となったといわれる。なお16世紀ごろにはフランスを中心に、純粋な歴史的見地からローマ法を研究しようとする「人文学派」Humanistenも登場した。その代表者はキュジャス(1520―90)である。
(3)その後の大陸法学 ローマ法の継受以後の大陸法学は、ローマ法を基軸として展開した。絶対主義国家を正当化した主権論も「君主は法から解放されている」princeps legibus solutus estという『ユスティニアヌス法典』のことばに典拠を求めたし、17、8世紀に栄えた自然法典もその内容においてはローマ法の色彩が濃かった。サビニーの歴史法学でさえ、歴史のなかにみいださるべき法としてはローマ法が考えられていた。ドイツにおいては民法典制定(1900)まで、『ユスティニアヌス法典』がそのまま現行法とされ、それの注解と体系化に従事するパンデクテン法学が栄えた。フランス革命後、19世紀初頭のフランスではナポレオンの手で法典が整備され、フランス19世紀法学はその注釈に没頭する注釈学派cole d'exgseが栄えたが、ドイツにおいてはあらゆる解決を論理的に導き出せるような法理論の体系化を試みる概念法学が栄えた。いずれも社会の現実から目を反らしたものとして、フランスではジェニー、サレイユら、ドイツではイェーリングらの批判を浴び、利益法論、自由法論などの諸学派が有力となった。彼らはいずれも条文と論理のほかの社会的現実の重視を唱え、そこから法社会学という新たな学問分野が登場した。
(4)英米法学 判例法主義にたつイギリスでは、法学教育の任務は判例を整理・編纂(へんさん)するところにあり、法学者の努力もまたそれに集中した。コーク、ブラクストンら重要な法学者の主要な業績は判例編纂にある。この判例法主義を批判したのが功利主義哲学者ベンサムであり、その系譜に属するオースティンは、ドイツ法学の影響のもとで法理論の体系化を試み、分析法学(派)といわれる学派を樹立した。他方メイン、メイトランドらが歴史法学(派)を形成し、19世紀後半より法学の方法も多様化した。アメリカでも法学の状況はイギリスと類似していたが、19世紀末よりホームズ、パウンドらによってプラグマティズム法学が唱えられ、社会の要請に即した法の運用が求められた。1930年代にはその影響下で法制度の現実に懐疑を向けるリアリズム法学が登場した。[長尾龍一]

法学の諸分野

伝統的には法学とは法解釈学を意味したが、法哲学、法社会学、法史学、比較法学など、法の基礎的、理論的研究に従事する分野も過去1世紀の過程を通じて重要性を増してきた。前者を実定法学、実用法学、後者を基礎法学、理論法学などとよんで区別することがある。日本の大学の法学部の伝統的な講座編成の一例をに示す。このなかで、刑事政策は法解釈学ではなく、犯罪現象の社会学的研究を中心とするものであるが、制度上刑事学に分類されることが多い。東京大学などには「国法学」という講座があるが、これは国家と法の一般理論ないし比較憲法学を主題とする。[長尾龍一]

法解釈学

法解釈学は、裁判や行政実務への適用を前提として実定法の意味を認識し体系化する学問分野である。その目的は最善の法的解決をみいだすところにあり、ローマの法学者ウルピアヌスは法学を「善と衡平の技術」ars boni et aequiとよんでいる。したがって、その本質は科学的認識ではなく実践に使えるものであるが、裁判や行政行為を可能な限り客観的秩序に服させようとするものであるという点で、科学と同様客観性を志向している。法解釈学は中世の神学の影響を受けて成立したもので、方法論において神学性を帯びているといわれる。ドイツ語では現在でも法解釈学を法教義学Rechtsdogmatikとよぶ。神学には所与の権威として聖書などが与えられているように、法学には法典が与えられている。神学も法学もこのような権威の体系化を任務としており、体系化の方法も両者は酷似している。神学の全能の神と法学の主権的国家、神学における人格(ペルソナ)の理論と法学の法人格論などは並行関係にある。そして実際刑法総論で論じられるもろもろの理論は神学の決疑論の影響下に生まれたといわれる。
 法学はかつて現実的権威を認められた。ローマにおいて皇帝に「解答権」を認められた法学者の解答は、当事者を拘束し、後の先例となった。近代においても有力な法学者の「通説」communisopinioは法源としての効力を認められた。ドイツでは長い間大学の法学部は重要問題について最高裁判所の役割を果たし、諮問に応じて教授会に「判決委員会」Spruchausschussを設けてこれに答えた。
 この権威ある法解釈学も19世紀以後さまざまな批判の対象となるに至った。キルヒマンの著書『法解釈学の学としての無価値性』(1847)は立法者の恣意(しい)に翻弄(ほんろう)される法学の矮小(わいしょう)性を嘆いたもので、「立法者が三語を訂正すれば全図書館は反古(ほご)になる」といい、法学者の熱烈な論争の対象となるのは、たいてい立法者の不手際で条文のできの悪いところだとして、法学者は実定法という腐った柱に巣くううじ虫だと極論する。キルヒマンの批判は、政治から切断された法学が末梢(まっしょう)化していることに向けられたが、公法学者ラーバントらの法実証主義者は、法学を政治から切断し、法学者は制定法の認識と論理的体系化に任務を限定すべきで、とりとめのない政治談議に巻き込まれるべきでないと強く主張した。この主張は20世紀初頭のマックス・ウェーバーの社会科学よりの価値判断排除の主張と結び付き、法解釈学は神学と同様の教義学であって本来科学たりえないもので、経験科学たる法社会学だけが法の科学たりうるという過激な主張を生み出した。それに対しケルゼンは、法社会学のような経験科学のほかに、規範を対象とする規範科学が可能であり、法学も法規範を認識する規範科学となりうると説いた。具体的には法学は法規範の許容する「枠」を認識し、その枠内のさまざまな可能性のどれを選ぶかは実務家にゆだねるというものであるが、この枠はそれほど明確でないという批判がある。アメリカの法哲学者パウンドは法学を社会工学social engineeringとして性格づけ、社会のもろもろの必要を調和的に司法に反映させるための一種の応用科学であると説いた。
 日本でこの問題を最初に本格的に取り上げたのは宮沢俊義(としよし)で、その著『法律学における「学説」』(1936)において、法学説を「理論学説」と「解釈学説」に分類し、後者は実践的意欲の作用で、科学的認識作用ではないとしている。第二次世界大戦後も来栖(くるす)三郎らによって「法解釈学の客観性」への疑問が提起され、法解釈学の実践的性格、法社会学的認識を取り入れる必要性などが一般的に承認されている。また近年は、条文から演繹(えんえき)的に論ずる法学の体系は敬遠され、現実の法律問題こそ法解釈学のアルファでありオメガであるとする傾向が強い。法的論議を合理的決定に至る実践的推論の一種としてとらえる人々もある。[長尾龍一]

法学教育

法律家養成を前提とするものと、一般の社会人を養成するためのものとに分けられる。アメリカのロー・スクールは法律家養成を主目的とするが、日本では大学法学部卒業生の大部分は法律職につかず、その教育目的は主として後者にあるといえよう。基礎法学や政治学、経済学、社会学、歴史学など隣接領域の講義が多く取り入れられ、また一般教養課程を別に履習する義務が課されているのもこのことと関連する。法律家養成の機関としては司法研修所があり、司法試験合格者について法律専門家としての教育を施している。裁判官、検察官、弁護士となる者はこの課程を経なければならない。[長尾龍一]
『田中耕太郎著『法律学概論』(1953・学生社) ▽川島武宜著『科学としての法律学』(1964・弘文堂) ▽碧海純一著『法と社会』(中公新書)』

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世界大百科事典内の法学の言及

【概念法学】より

…たとえばフランスでは,その時期に注釈学派といわれる立場が主流を占め,裁判官の主観を排し法典の条文の適用のみから解決を引き出そうとするなかで概念的形式論理を重視していたし,アメリカでも,判例法から抽出された法原理・法概念に重点をおいた形式主義的な法理論が優位に立っていた(ケース・メソッドはこれを講ずる方法という一面をもつ)。類似の流れがドイツでは概念法学として登場した。 概念法学はつぎの特色をもつ。…

※「法学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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