知恵蔵 「ハビエル・アギーレ」の解説
ハビエル・アギーレ
プロサッカー選手としての現役時代は、主にミットフィールダー(MF)としてメキシコのクラブ・アメリカやアメリカのロサンゼルス・アズティックス、スペインのCAオサスナで活躍。メキシコ代表としても国際Aマッチ通算59試合で14得点を挙げ、86年、自国開催ワールドカップでのベスト8入りに貢献した。
93年に現役を引退した後、指導者としての道に進み、メキシコ1部リーグの二つのクラブ監督を務めた。2001年には、その実績が評価されメキシコ代表監督に就任。02年ワールドカップ日韓大会で予選を突破し、本大会では16強進出を果たした。また、09年から再びメキシコ代表を率い、10年ワールドカップ南アフリカ大会でも16強入りした。
クラブ監督としてはスペインでも実績を挙げており、弱小クラブだったCAオサスナに05年スペイン国王杯準優勝、05~06年シーズンには1部リーグ4位の好成績を上げさせ、10~11年には下位リーグ降格の危機にあったレアル・サラゴサを残留させた。現有戦力を活用して成果を上げることを得意とする。13~14年シーズンは不振にあえいでいたRCDエスパニョールを指揮して13位で終了。1部残留を果たし、14年5月に退任していた。
ワールドカップ南アフリカ大会後にも日本から代表監督就任のオファーを受けていたが、当時は子どもがスペインの大学に通っていたことなど家庭の事情から断念。ブラジル大会後、日本からの再度のオファーを受け、スペインのクラブや他国の代表チームからの依頼もあったものの、「4年間、見てくれていた」と日本代表監督就任を決心した。今回の就任に当たり、家族と共に東京都内で新生活を始める。
日本サッカー協会は、アギーレ新監督が持つ戦術上の「引き出しの多さ」を評価。また選手の体格やプレースタイルが日本と似ているといわれるメキシコを指揮して、ワールドカップで2度、16強に導いた手腕と国際経験に期待がかけられている。
8月11日の来日記者会見では、「まず守備を固めたい」と、守備の安定を基礎にしながらも、「11人全員が守備も攻撃もこなせるチームを目指す、バランスが取れた選手。攻守両方をこなせる選手が必要だ」とバランスのとれたチームを目指すことを示した。また、競争力を重視し、将来性のある選手を競い合わせることによって代表チームの戦力アップを図る方針も明らかにした。
スペイン語だけでなく英語も堪能だが、「サッカーをする人間にとっては、ボールが共通語」と語る。試合中に相手選手を蹴って退場になったことがあるなど、熱血漢として知られる。
15年2月、日本代表監督としての契約が解除された。
(葛西奈津子 フリーランスライター / 2015年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報