改訂新版 世界大百科事典 「バービーヤール」の意味・わかりやすい解説
バービー・ヤール
Babii Yar
ウクライナの首都キエフ市の郊外にある谷。ナチス・ドイツは第2次世界大戦中の1941年9月19日にキエフ市に入城すると,ユダヤ人絶滅政策に着手し,同月29~30日にこの谷に集めたユダヤ人男女3万3771人に対してナチス親衛隊特殊部隊の手で銃殺を行った。また,2年余にわたるドイツ軍のキエフ占領中に,この谷に葬られたユダヤ人は10万をこえた。ドイツ占領下のソ連での絶滅政策の犠牲者となったユダヤ人は約300万と推定されているが,バービー・ヤールはそれを象徴する名称となった。事件の悲劇的真相は作家エレンブルグの活動などでソ連内外に知られたが,1948-49年の反ユダヤ主義的風潮の高まり(コスモポリタニズム批判)以後,ソ連ではバービー・ヤールに言及することが当局の忌避するところとなっている。しかし,エフトゥシェンコの詩(1961)や,A.V.クズネツォフの小説《バービー・ヤール》(1966)など,バービー・ヤールを忘れてはならないとする動きが知識人の間にある。
執筆者:原 暉之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報