改訂新版 世界大百科事典 「コスモポリタニズム批判」の意味・わかりやすい解説
コスモポリタニズム批判 (コスモポリタニズムひはん)
ソ連では,コスモポリタニズムは社会的条件や民族的伝統を無視するものとして,ひろく批判の対象とされてきたが,とくに1949年に各界において展開された反ユダヤ主義的内容の中傷キャンペーンを指す。スターリン時代末期における文化面でのスターリン的排外主義,反ユダヤ主義の一局面をなす。すでに前年に〈ユダヤ反ファッショ委員会〉が解散させられ,その議長で俳優のS.M.ミホエルスが秘密警察による殺害とみられる怪死をとげるなど,ソ連邦のユダヤ人にとっての暗黒期がはじまっていたが,この年1月28日の《プラウダ》紙上をはじめ,一連の刊行物で〈コスモポリタニズムとの闘争〉が呼びかけられた。〈祖国の地に根をもたぬコスモポリタン〉として攻撃を浴びたのはいずれもユダヤ系知識人であり,ペンネーム使用作家のユダヤ風の本名がことさらに強調された。おそらく西側での非難の高まりにより同年4~5月鎮静に向かったが,この排外的動きの下で逮捕・投獄(のち処刑)されたユダヤ人は,作家D.R.ベルゲリソン,外務次官S.A.ロゾフスキーなど少なくない。
執筆者:原 暉之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報