知恵蔵 「ピンクリボン運動」の解説
ピンクリボン運動
日本では、女性の16人に1人が乳がんになると言われている。30歳から60歳の壮年層の女性のがん死亡原因の第1位は乳がんであり、厚生労働省の人口動態統計によると、2008年に乳がんで亡くなった女性は1万1797人だった。この数は年々増加している。理由としては、日本では乳がんの検診受診率が低く、気が付いたときには進行していたケースが多いことがあげられる。
ピンクリボン運動はこうした状況を変えるために、乳がんのセルフチェックや定期検診を促し、乳がんに対する意識を高めることが目的とされている。
ピンクリボン運動が盛んになったのは、1980年代のアメリカが最初である。行政、市民団体、企業などが乳がんの早期発見を啓発するためのイベントを開催したり、ピンクリボンをあしらった商品を販売して収益を研究団体に寄付したりするなどの活動を行った結果、検診率が高まり乳がんによる死亡率を低下させたという実績を持つ。
日本では、2000年10月に乳がん患者支援団体の「あけぼの会」が東京タワーをピンク色にライトアップしたことがきっかけとなり、ピンクリボン運動が一般的に認知されるようになってきた。その後、様々な企業がピンクリボン運動に協賛したり、市民団体が立ち上げられたりするなど、日本のピンクリボン運動は年々盛んになっていった。
ピンクリボン運動を行うNPO法人の一つ、J.POSHは、年に1度、日曜日に全国どこでもマンモグラフィー検査が受診できる環境づくりに取り組んでいる。10年が初の試みになり、10月17日は280施設を超える全国の賛同医療機関でマンモグラフィー検査を受けることができた。
また、朝日新聞をはじめ、地域や行政、企業、団体などがコラボレートして開催するピンクリボンフェスティバルも03年から毎年開催されている。10年は10月1日から東京・神戸・仙台の3都市でイベントや街のデコレーション、ライトアップなどを通して乳がんの早期発見などの大切さを訴えるピンクリボンのメッセージを発信した。
(星野美穂 フリーライター / 2010年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報