改訂新版 世界大百科事典 の解説
ファフル・アッディーン[2世]
Fakhr al-Dīn Ⅱ
生没年:1572-1635
レバノンのドルーズ派の名望家マーンMa`n家に属するアミール(太守)。マーン家は祖父の代からレバノン南部の山岳部一帯の支配権を握っていたが,ファフル・アッディーンは政略に優れ,オスマン帝国中央政府の有力者たちと結び,クルドなどの政敵を次々と倒して,沿岸部を含むレバノン一帯の統一的支配をなしとげた。さらに全盛時(1630ころ)には,北はシリア北部から南はパレスティナにまでレバノンの勢力を伸張した。しかし,その勢力の増大はオスマン政府の脅威となり,1633年に中央政府の命による討伐軍に敗れ,35年にイスタンブールで処刑された。マーン家は,のちに指導権をシハーブ家に取って代わられるが,ファフル・アッディーンは優れた農政手腕でマロン派キリスト教徒とイスラム教徒を共存共栄させたところから,近代レバノンの父と見なされている。
執筆者:林 武
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報