シリア(シャーム)でイスマーイール派から派生した一宗派。11世紀初め,ファーティマ朝カリフ,ハーキムを神格化することにより成立した。イラン出身でカイロに来たハムザḤamza b.`Alī(生没年不詳)が教義体系の組織者とされる。この教義はエジプトでは受け入れられず,同じくカイロにいたダラジーDarazī(生没年不詳)によりシリア山間部に伝えられたとされ,呼称もこれに由来する。
コーランの内面的意味を強調するバーティンの教義に基づいてハーキムを神の最終的体現であるとして〈我らの主〉と呼び,その死を認めず,〈隠れ(ガイバ)〉からの再現を期待する。ハーキムの下に神から流出した五つの創造的原理の各体現者としてハムザら5人を置き,その下に宗教的指導に当たるべきダーイー,マーズーン,ムカッシルの三つの機能集団を置く宇宙論的階層組織を認める。奥義的知識としての教義は構成メンバーのうちウッカール(知る者)と呼ばれる長老たちのみの知るところで,ジュッハール(無知なる者)たる大衆メンバーは集会所での儀礼へも接近が許されない。その秘儀的性格は,悪人が犬や豚に転生するとする大衆のタナースフ(輪廻)観や子牛の象徴などとともに,他のイスラム教徒から異端視される原因となった。反対派の圧迫に対して自己の信条を隠すタキーヤを認める。ヒッティーンにある預言者シュアイブShu`aybの墓への巡礼とイード・アルアドハー(犠牲祭)とが二大行事である。
ヘルモン山麓から徐々にレバノン山脈南部に拡大,18世紀以降はシリアのハウラーン地方(ドルーズ山地とも呼ばれる)へも移住が進んだ。この集団の社会組織はその宗教組織とは別に発展し,ことにオスマン帝国下で一定の自治権が認められた結果,アミールまたはハカムと呼ばれる政治的首長やジュッハールに属する在地の名士の役割を大きくした。レバノンではファフル・アッディーン2世に代表されるマーン家が指導権を握り,18世紀以降シハーブ家がこれに代わった。19世紀にはドルーズ領主たちはイギリスの援助を得て,フランスに支援されるマロン派と激烈な宗派紛争を繰り返し,1860年のフランスの軍事干渉を招いた。第1次世界大戦後,レバノンでは,ジュンブラート家とアルスラーンArslān家とが指導権を争い,ことに後者は,アラブ民族主義の有力政治家を輩出した。一方,シリアでは,フランス委任統治に対するスルターン・アルアトラシュの率いるドルーズ反乱がハウラーンを中心に展開された。現在,この宗派の住民はレバノン(約20万),シリア(約20万),イスラエル(約4万)で,それぞれ少数派をなすが,政治的には重要な要素である。レバノンでは国防相ポストは慣習的にドルーズに割り当てられ,イスラエルでは独立時,シオニストに協力的だったので,他のアラブ住民とは区別され,軍務につくことと独自の自治,裁判組織とが認められている。
執筆者:板垣 雄三
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イスマーイール派から派生した宗教集団。主としてレバノン,シリア,イスラエルなどに居住する。教義的にはファーティマ朝のカリフ,ハキームを神格化し,その再臨を期待することを特徴とし,秘儀的色彩が強い。5色に塗りわけられた五芒星(ごぼうせい)をシンボルとする。他のムスリムは彼らをムスリムとはみなしていない。
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(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)
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…精緻な宗教哲学体系で知られる同派に理論的根拠を与えたのは,10世紀に活躍したイフワーン・アッサファーであった。ファーティマ朝第6代カリフ,ハーキムは自らを神格化する新たな宗派をつくり,この派は初期指導者ダラジーの名にちなんでドルーズ派と呼ばれ,その信徒は現在,シリア,レバノン,イスラエルに数十万いる。同朝第8代カリフ,ムスタンシルの死後,後継イマームをめぐって同派は大きく分裂した。…
… こうして,〈聖地とキリスト教徒(巡礼)の保護〉の名目で,〈東方問題〉がシリアの事情をいっそう複雑にする。たとえば,レバノンでシハーブShiḥāb家はドルーズ派から改宗してマロン派キリスト教徒になっており,15世紀以来ローマと関係をもつ同派本山の威光と財力とでレバノン山岳部の統一を果たし,たび重なる農民蜂起もフランス軍の力で鎮圧する。一連の農民蜂起の種はアッカー(アッコ)の知事ジャッザールが内陸シリアの実権を握り過酷な収奪を続けたことに起因する。…
…そればかりか,資源的・経済的にも自給力があったし,自衛することも可能であったから,山間部の住民は自治を維持することがどの権力の下でもできた。17~18世紀には,ドルーズ派のマーンMa‘n家の勢力がシリアの内陸やパレスティナに及ぶこともあったし,山のレバノンは政治的統合に向けて動きはじめていた。 19世紀の前半に,一時エジプトのムハンマド・アリー朝の支配を受けたが,その頃になると新しい転機が熟する。…
※「ドルーズ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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