アラビア語で〈司令官〉〈総督〉を意味し,転じてイスラム世界で支配者や王族の称号としても使われた。のちにペルシア語やトルコ語(エミールemīr)でも用いられた。はじめはイスラム教徒の集団の長に対して使われた。ウマル1世(第2代正統カリフ。在位634-644)以降のカリフがアミール・アルムーミニーン(信徒たちのアミール)と呼ばれたのもその一例である。しかし,一般には正統カリフ時代から,軍隊の長,遠征軍の長の意味で使われた。また彼らが征服した土地でそのまま総督となった場合にも,ひきつづきアミールと呼ばれ,カリフに代わってその地を統治した。このような,総督としてのアミールの任務として,10~11世紀の法学者マーワルディーは,(1)軍隊の整備とその給与の支給,(2)カーディー(裁判官)の任命,(3)ハラージュ,サダカ両税の徴収,(4)イスラムの擁護,(5)刑罰を科すること,(6)金曜日の集団礼拝の指導,(7)メッカ巡礼者の保護,(8)ジハード(聖戦)の遂行の8項目をあげている。このうち(7)の任務は,独立して特別にアミール・ハッジュ(巡礼のアミール)と称されることがある。これらのほか,モスクや橋,用水路,道路などの公共施設の建設,警察長官を任命し,秩序を維持すること,駅逓組織の整備,銀貨の鋳造などにもたずさわった。アミールが徴税に関する権限をも持ったため,同一人物が徴税官アーミル`āmilと呼ばれることもあった。しだいにアーミルの機能はアミールから独立していったが,史料では両者を混同して使っている場合もあった。
アッバース朝(750-1258)時代には,アラブに代わってイラン人官僚やトルコ人がアミールに任命されるようになった。それらの中には,トゥールーン朝,ターヒル朝,サーマーン朝,サッファール朝のように,地方で独立するものも現れた。さらにガズナ朝のように,征服した地方で,カリフによって後からアミールが任命されることによって,その支配を正当化させるところも出た。同朝の君主はスルタンを自称することがあったが,法的には,あくまでアミールの地位にあった。10世紀の前半には,下イラクの総督イブン・ラーイクIbn Rā'iq(?-942)が,カリフよりアミール・アルウマラー(大アミール)の称号を得,カリフの世俗的な権限を全面的に奪い,以後イラクを中心とする東方イスラム世界の支配権は,次のブワイフ朝時代をも含めて,大アミールの手に握られることになった。大アミールとは,下級のアミールを統轄する官職ではなく,あくまでも軍事政権をつくり実権を握ったアミールに対する称号であり,その下で軍隊の指揮を行うものはハージブと呼ばれ,他のアミールは存在しなかった。大アミールの下には,カリフの場合と同様に,行政をつかさどるワジール(宰相)が置かれた。金曜日の礼拝では宗教的権威者としてのカリフの名とともに,世俗的支配者としての自己の名を唱えさせ,金貨の鋳造をも行った。軍隊は奴隷軍人(マムルーク,グラーム)を中心としたアミールのための軍隊であり,両者の間には,君主と家臣の関係が生じた。
次のセルジューク朝(1038-1194)時代には,世俗的支配者であるスルタンの下で軍隊の指揮にあたるものがアミールと呼ばれ,数も多く,その地位は相対的に低下した。たとえば,トゥグリル・ベク,アルプ・アルスラーン,マリク・シャーの3代のスルタンの時代のアミールは,総計約40名に達している。少数の部族長を除くと,これらの大部分は,奴隷出身者であった。彼らの中からは,アター・ベクや軍政府総督シャフナShaḥna,また大規模なイクター(分与地)保有者となり,王朝の衰退期に地方で独立政権をつくったものも現れた。アミールたちの間での階層の分化を反映して,上級のアミールの中には,総指揮官アミール・イスファフサーラールと呼ばれるものもあった。マムルーク朝では,さらにアミールの中に十人長から百人長までの位の分化が見られ,その数も総計で900人前後に達した。彼らは購入された奴隷マムルークであった。マムルーク朝,ルーム・セルジューク朝,ホラズム・シャー朝では,軍隊の長ばかりでなく,種々の部局の長もアミールと呼ばれた。たとえば,厩舎の長アミール・アーフル,灌漑担当のアミール・アーブ,港湾担当のアミール・バフル,司法担当のアミール・ダード,宮廷楽師長アミール・ムトリビー,狩猟担当のアミール・シカーリー,武器係の長アミール・シラーフなどである。
イル・ハーン国においては,部族組織が同時に軍隊組織であったため,アミールとは,モンゴル人の部族長であった。ティムールがアミールと号したのも,彼が遊牧貴族の一員であったためである。ティムール朝においてアミールとは,部族長のうち特に有力な者の身分を示す称号であり,その身分は世襲された。アミールは同時にベグ(ベク)とも呼ばれ,トルコ語では両者は同義語となる。サファビー朝時代にはアミールの長の意でベグラルベギーbeglarbegī(ベクレルベイ)の語が使われ,中央アジアでも近代に至るまで,支配者の称号としてアミールまたはベグが使われたのはその一例である。
執筆者:清水 宏祐
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イスラーム世界における指導者。原義は「命令者」であり,その用法は多義にわたる。ウマイヤ朝やアッバース朝期には地方総督,または地方諸王朝の支配者をいう。セルジューク朝以降は軍指揮官をさす。一方,支配者の子弟を示す言葉としても広く用いられた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…安定した政権の下に農業生産は発展し,商品作物としてのサトウキビ栽培が普及するとともに,都市の織物業も目覚ましい繁栄ぶりを示し,これを基礎にカーリミー商人や奴隷商人がインド洋と地中海貿易に活躍した。しかし1347‐48年のペストの大流行によって都市と農村の人口は激減し,ナーシル没後は幼少の息子たちが相次いで即位したために,実権を握るアミールたちの抗争によって政局は混乱を極めた。 この機に乗じてチェルケス人マムルークのバルクークが政権を握り,ブルジー・マムルーク朝を開いたが,この時代のスルタンは家系によらず,有力アミールの選挙によって選ばれるのが慣例であったから,軍閥相互の勢力争いは一段と激しくなった。…
※「アミール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新