プリンスフィルダー(その他表記)Prince Fielder

現代外国人名録2016 「プリンスフィルダー」の解説

プリンス フィルダー
Prince Fielder

職業・肩書
大リーグ選手(レンジャーズ・内野手)

国籍
米国

生年月日
1984年5月9日

出生地
カリフォルニア州オンタリオ

本名
Fielder,Prince Semien

学歴
オーガリー高〔2002年〕卒

受賞
ハンク・アーロン賞(ナリーグ)〔2007年〕,カムバック賞(アリーグ)〔2015年〕

経歴
父は2度の大リーグ本塁打王に輝き、日本プロ野球の阪神でもプレーしたセシル・フィルダー。自身も幼い頃に日本で暮らしたことがある。オーガリー高校時代、通算打率.524、10本塁打を記録。2002年ドラフト1巡目全体7位指名でブリュワーズに入団。2003年1Aで所属するリーグのMVPに輝き、2005年6月対デビルレイズ(現・レイズ)戦でメジャーデビュー。初安打は野茂英雄投手からだった。2006年28本塁打と81打点で球団新人記録を更新。2007年オールスターに初出場。同年史上最年少の23歳139日でシーズン50本塁打に到達し、ナリーグ本塁打王に輝いた。父子での50本塁打も史上初だった。2009年46本塁打(リーグ2位)、141打点(同1位)。2011年のオールスターでは逆転3ランを放ち、オールスターMVPに初選出されるなど、ナリーグの看板打者となった。2012年に9年2億1400万ドルの高額契約でアリーグのタイガース移籍。同年打率が初めて3割を超えた(.313)。2013年11月レンジャーズに移籍したが、2014年は首の故障で42試合出場に留まった。通算1000試合目で232本目の本塁打を放ったが、これは父と全く同数だった。2015年にはメジャー通算300本塁打を放ち、親子ともに300本塁打を達成(ボビー・ボンズとバリー・ボンズ父子以来の史上2組目)。本塁打王1回(2007年)、打点王1回(2009年)、シルバースラッガー賞3回(2007年,2011〜2012年)、オールスター選出5回(2007年,2009年,2011〜2013年)。一塁手。180センチ、125キロ。右投左打。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「プリンスフィルダー」の解説

プリンス フィルダー
Prince Fielder
大リーグ

大リーグ選手(タイガース・内野手)
生年月日:1984年5月9日
国籍:米国
出生地:カリフォルニア州オンタリオ
別名等:本名=Prince Semien Fielder
学歴:オーガリー高卒
受賞歴:ハンク・アーロン賞(ナリーグ)〔2007年〕
経歴:父は2度の大リーグ本塁打王に輝き、日本プロ野球の阪神でもプレーしたセシル・フィルダー。自身も幼い頃に日本で暮らしたことがある。オーガリー高校時代、通算打率.524、10本塁打を記録。2002年ドラフト1巡目全体7位指名でブルワーズに入団。2003年1Aで所属するリーグのMVPに輝き、2005年6月対デビルレイズ(現・レイズ)戦でメジャーデビュー。初安打は野茂英雄投手からだった。2006年28本塁打と81打点で球団新人記録を更新。2007年オールスターに初出場。同年史上最年少の23歳139日でシーズン50本塁打に到達し、ナリーグ本塁打王に輝いた。父子での50本塁打も史上初だった。2009年46本塁打(リーグ2位)、141打点(同1位)。2011年のオールスターでは逆転3ランを放ち、オールスターMVPに初選出されるなど、ナリーグの看板打者となった。2012年に9年2億1400万ドルの高額契約でアリーグのタイガースに移籍。同年打率が初めて3割を超えた(.313)。通算1000試合目で232本目の本塁打を放ったが、これは父と全く同数だった。本塁打王1回(2007年)、打点王1回(2009年)、シルバースラッガー賞3回(2007年,2011〜2012年)、オールスター選出5回(2007年,2009年,2011〜2013年)。一塁手。180センチ、125キロ。右投左打。

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