朝日日本歴史人物事典 「プルーイン」の解説
プルーイン
生年:1815.2.14
アメリカの法律家,州政治家,幕末の駐日弁理公使。ニューヨーク州の首都オールパニ生まれ。父方は同地で17世紀へさかのぼるフランドル系旧家。1836年ラトガズ大文学修士および弁護士資格取得と同時に市の顧問弁護士となり,のち市会議員,州軍法務部長,州下院議員,議長,軍務局長などを歴任。1861年10月駐日弁理公使に任命され,文久2(1862)年3月着任。祖国は南北戦争,日本は尊攘運動の激化という非常な難局にあって,国務長官シューアド(親友で政治上の先輩)の意を体し,従前の対日方針から一転してヨーロッパ列国代表との協調を推進。連合艦隊大坂湾頭示威による条約勅許強制の策案をいち早く3年に提起し,翌年イギリス公使主導での連合艦隊下関攻撃に積極的に参加。前任ハリスの独自外交の遺産をも最大限に利用し,関税率大幅引き下げの単独交渉に成功するが,軍艦調達の一件で不始末をする。慶応1(1865)年4月賜暇帰国の途に就き,10月辞表提出,退職。
(廣瀬靖子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報