翻訳|diplomat
一般には,外交使節(大使,公使)とそのおもな随員をさすが,法令では,外務公務員のうち,主として外交事務に携わる一般職の職員(参事官,一等書記官,二等書記官,三等書記官および外交官補の名称を用いることのできる者)をさす。外交官に関し,イギリスの外交官ウォットンHenry Wotton(1568-1639)は〈彼の国のために外国に噓をつくために派遣される正直な人間〉と表現し,フランスの外交官カリエールFrançois de Callières(1645-1717。《外交談判法》(1716)の著者)は〈大使は尊敬すべきスパイと呼ばれる〉と記した。これらは冗談まじりの表現ではあるが,一面の真理はついている。これらの〈噓つき〉〈スパイ〉といったほどのマイナス・イメージを与える言葉ではないが,一般に外交辞令とは,外交上に使う巧みな言葉,転じて口先だけの空世辞とされている。たしかに外交官は,その目的達成のため,外国の情報をさぐり,情報を操作し,巧みな言論を展開する必要がある。しかし外交官がこのような“権謀術数の人”とされた時代はすでに過去のものとなった。現在外交官に求められているものは,正確な分析能力であり,たんなるジェネラリスト以上の統合能力であり,権力と民主,ナショナリズムとインターナショナリズム間のバランス感覚である。
元来外交官というものは,〈伝令官または白旗を持った使者〉の段階から始まり,〈雄弁家ないし法廷弁論的段階〉を経て,〈訓練された観察者の段階〉へと進んだとされている(H. ニコルソン)。そして当初は記憶力,演説力,容姿端麗,血統などを重要な資質とされた外交官が,やがて,誠実,正確,冷静,謙虚,明朗,適応力,忍耐力などの近代社会のエリートの資質を求められるようになっていった。この近代的な職業外交官の起りが外交文書を取り扱い,整理する人々の集団から始まったということは,外交官にとって,歴史的知識,文書解読力,正確な分析能力などが,弁説,大声,謀略の能力より重要になったことを意味する。ちなみにdiplomatの語源であるdiplomaは,ギリシア・ローマ時代に二重に折りたたまれた旅券または通行券を指し,転じて公文書一般,さらに公文書取扱い業務を指す言葉となったものである。これらの外交に関する公文書は,本国から出先に対する公式および秘密の訓令,出先から本国政府にあてた各種の報告・意見書,その他の各種の公電などを含み,近代国家では,イギリスの外交文書《ブルー・ブック》に代表されるように,系統的に整理・保存されるようになった。
他方,外交官に関する各種の国際的慣行,外交儀礼などは,15世紀,イタリアの都市国家において恒常的な外交関係維持のため常駐の外交使節を派遣したのが始まりで,1648年のウェストファリア会議から1815年のウィーン会議にかけて発達し,1818年のエクス・ラ・シャペル会議で整理・統一された。この結果,外交使節の階級と名称は,(1)全権大使,教皇遣外使節,(2)特命全権公使,(3)弁理公使,(4)代理公使に統一され,同一階級の場合には着任の正式の通知の日付順に席次が定められることになった。ただし20世紀になると各国は争って上位の外交使節を派遣するようになり,第2次世界大戦後ともなると全権大使を派遣し,必要な場合には公使を大使の補佐役に任命することが一般化した。また随員として参事官,書記官,外交官補がおかれ,いずれも外交特権を享受するようになった。またエクス・ラ・シャペル会議以後,信任状の捧呈や謁見など外交儀礼のルールも詳細に取り決められた。こういったルールは一見煩瑣なようであるが,国家と国家との間には利害や力関係や威信問題が複雑に入り組んでいるため,無用なトラブルや紛争を回避するためには必要な手続きとして考案されたものである。したがって外交官は,これらのルールに習熟したうえで,本国の訓令に基づいて相手国と交渉し,自国を代表して条約や協定に調印し,各種の会議やパーティに出席しなければならない。また任国についての情報を可能な限り集めるとともに,自国からの使節,議員,官吏,民間人のめんどうもみなければならない。したがって任国に関する知識を絶えず豊かなものとし,その地の新聞・雑誌に眼を通し,必要な場合視察旅行を系統的に行うことが求められる。
このため今日の外交官は,語学,国際法,歴史学の基礎的能力とともに,謙虚さ,正確さ,民主的態度が強く要求されている。このような外交官を養成するため,近代になって,各国は競争試験によって適任者を選抜し,一定期間国内・国外で訓練,研修を施すようになった。この近代的な外交官試験は,イギリスでは1853年ともっとも早く,日本でも93年から開始された。ただアメリカでは選挙の功績に対する報酬として外交官のポストを約束する猟官制の伝統が強く,職業的外交官の登用試験が始まったのはかなり遅れて1924年からのことである。なお日本における採用試験は,外交官,領事官試験と外務書記生試験,外務省留学生試験から成っていたが,これが59年に外務公務員採用上級試験と外務公務員採用中級試験,語学研修員採用試験と改称され,さらに後者は77年に外務省専門職員採用試験という名称に統一された。他方,現代では,国家関係の複雑化にともなって,大蔵,通産,防衛,警察など各省庁からの専門家が外交官として任地に駐在する数が増大しており,プロフェッショナルな外交官はいっそう高度な統合能力を求められるとともに,国際法,国際経済,地域研究などの専門家として任官後もさらに自己開発を継続することが要求されている。ただし自己自身の専門を深めるからといって,学者のような狭い意味における専門家となることは望まれていない。
→外交 →在外公館
執筆者:宇野 重昭
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大使、公使などの外交使節(外交使節団の長)とその主要な随員である外交職員をいう。「外交関係に関するウィーン条約」(1961年採択、64年発効)によれば、外交職員とは外交使節とともに外交事務に従事する者で、国によって呼称が同一というわけではないが、日本では参事官、一等・二等・三等書記官、および外交官補など(外務公務員法)である。また、以上のような国を代表して外国(接受国)に常駐する者のほか、国際会議や特別な任務のために派遣される政府代表や全権委員および特派大使とその顧問・随員なども一時的に外交官として扱われる。外交官には、その任務の能率的な遂行のために、外交特権が与えられており、外交官としての身分が国際的に保障されている。しかし同時に外交官は、その活動にあたり接受国の法令を尊重しなければならず、とくに接受国の国内問題に介入してはならない。また外交官は、接受国において個人的営利のための職業活動や商業活動をしてはならない。わが国の場合外交官になるためには、原則として、国家公務員Ⅰ種試験および外務省専門職員採用試験に合格し、一定期間の研修を受けなければならない。
[広部和也]
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…ニコルソンH.Nicolson(1886‐1968)は《外交》(1963)の中で,外交と外交政策とがしばしば混同して使用されている点に注意を喚起し,交渉としての外交に限定して論議を進めるが,ここでは外交政策についても若干触れることにする。
【外交形態の変化】
[宮廷外交の時代]
交渉としての外交は,人類社会とともに長い歴史をもつが,今日見られるような職業外交官や外交の慣行・儀礼,またその行動の規範となる国際法が出現したのは,中世の終りのイタリアの都市国家においてであるといわれる。しかし華々しく外交が開花したのは,16世紀から18世紀にかけての絶対主義王朝期の西欧においてであり,そこではロマンに満ち,陰謀の渦巻く〈宮廷外交〉がくりひろげられた。…
※「外交官」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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