シュタイン(読み)しゅたいん(英語表記)Heinrich Friedrich Karl Reichsfreiherr vom und zum Stein

デジタル大辞泉 「シュタイン」の意味・読み・例文・類語

シュタイン(Lorenz von Stein)

[1815~1890]ドイツの法学者・社会学者。国家の社会政策による資本主義の発展を主張。渡欧した伊藤博文に憲法・行政法を講義したことで知られる。

シュタイン(Heinrich Friedrich Karl, Reichsfreiherr vom und zum Stein)

[1757~1831]プロイセンの政治家。ナポレオン支配の時代に農奴制廃止・国民皆兵制・行財政改革に尽力し、ドイツ近代化の基礎をつくった。

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精選版 日本国語大辞典 「シュタイン」の意味・読み・例文・類語

シュタイン

  1. [ 一 ] ( Charlotte von Stein シャルロッテ=フォン━ ) ワイマール公国大公妃の侍女。主馬頭シュタイン男爵の夫人。ゲーテの恋人。ゲーテの人間性形成や芸術に多くの影響を与えた。(一七四二‐一八二七
  2. [ 二 ] ( Heinrich Friedrich Karl Reichsfreiherr vom und zum Stein ハインリヒ=フリードリヒ=カール=ライヒスフライヘル=フォム=ウント=ツム━ ) ドイツの政治家。プロイセン改革の指導者。男爵。一八〇七年ティルジットの屈辱的講和ののち、首相として国政を担当、農民解放、都市条例などいわゆるプロイセン改革を指導して、その近代化に貢献した。また、一八一九年古代ドイツ史学会を創設、ドイツ中世史料集編纂の基礎を築いた。(一七五七‐一八三一
  3. [ 三 ] ( Lorenz von Stein ローレンツ=フォン━ ) ドイツの政治学者、社会学者。ドイツ行政学の完成者。ウィーン大学教授。社会改良主義的立場をとり、フランスの社会主義運動をドイツに紹介した。伊藤博文の帝国憲法起草に多大の影響を与えた。(一八一五‐九〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュタイン」の意味・わかりやすい解説

シュタイン(Heinrich Friedrich Karl Reichsfreiherr vom und zum Stein)
しゅたいん
Heinrich Friedrich Karl Reichsfreiherr vom und zum Stein
(1757―1831)

ドイツの政治家。プロイセン改革の指導者。ナッサウの帝国騎士の家柄に生まれ、ゲッティンゲン大学でイギリス自由主義の影響を受け、1780年以後のプロイセン官吏の経験から絶対主義への批判を強めた。1804年大臣となったが、固陋(ころう)な官房政治を批判してその改革を献言したため罷免された。隠棲(いんせい)中に『ナッサウ覚書』を起草し、国民と政府の協力による近代国家建設の理念を説き、1807年ティルジット条約後ふたたび首相に起用されると、その理念に従って農民解放、都市条例、国家機構の改革などを断行して「プロイセン改革」の口火を切ったが、オーストリアに対する対フランス戦参戦工作が露見してナポレオンに忌避され、1808年オーストリアに逃れた。のちロシアに赴いて同志とともにナポレオン打倒のため奔走し、1813年プロイセン・ロシア同盟を成立させてプロイセンを解放戦争に引き戻すことに成功した。ウィーン会議にはロシア政府顧問として出席し統一ドイツ実現のため活動したが、メッテルニヒに阻止された。以後政界から退いてドイツ歴史資料収集に取り組み、『モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ』(ドイツ中世史料集)の基礎を築いた。

[岡崎勝世]

『石川澄雄著『シュタインと市民社会』(1972・御茶の水書房)』


シュタイン(Lorenz von Stein)
しゅたいん
Lorenz von Stein
(1815―1890)

ドイツの社会学者、法学者。キール大学で法学を修めたのち、パリで社会運動、社会思想を研究。『現代フランスの社会主義と共産主義』Der Sozialismus und Kommunismus des heutigen Frankreichs(1842)公刊後、キール大学教授(1846)、ウィーン大学教授(1855~1885)を歴任。彼はヘーゲルの国家論の影響下に、共同社会を社会と国家の二つの構成要素に区分した。そして、利益の原理に貫かれた社会では有産者と無産者との間の階級対立が不可避であるのに対し、自由な人格たる国家はこの社会次元の対立過程を社会政策によって緩和すると考えた。こうした立場は一に当時のプロイセンの王政を擁護するものとしてあったが、同時にドイツ行政学確立のための理論的支柱をなした。なお、彼の理論は1882年(明治15)旧憲法起草のため渡欧した伊藤博文(ひろぶみ)を通して、明治期の日本にも大きな影響を及ぼしている。主著に前掲書のほかに『1789年から現代までのフランス社会運動史』Die Geschichte der Sozialen Bewegung in Frankreich von 1789 bis auf unsere Tage3巻(1850)などがある。

原直樹]


シュタイン(Peter Stein)
しゅたいん
Peter Stein
(1937― )

ドイツの演出家。ベルリンに生まれる。1960年なかばにミュンヘンで演出助手として演劇活動を開始し、60年代末に演劇の「民主的実践」を唱導した。劇団構成員全員の協力によって劇場と上演を運営する集団指導を劇づくりの基礎に置き、70年以後ベルリンの「シャウビューネ」を本拠地とした演出活動で注目を浴びた。72年のクライスト作『ホンブルク公子』をはじめ、その演出はつねに大きな反響をよんだ。映画やテレビでも活躍が目覚ましく、ボート・シュトラウスの『大と小』(1980)の演出で高い評価を受けた。1980年代に入って社会改革を主張するメッセージ性の鋭さを失ったかにみえるが、その反面、映画とテレビドラマにも活動の場を広げ、ヒューマニズムを基調とする円熟の境地に達した。1990年代にはザルツブルク祝祭劇(ザルツブルク演劇祭)の演劇部門の総監督としてラインハルトを彷彿(ほうふつ)させる演出によって評判になった。

[宮下啓三]


シュタイン(Horst Stein)
しゅたいん
Horst Stein
(1928―2008)

ドイツの指揮者。ドイツ西部のエルバーフェルト(現ウッパータール)に生まれる。ケルン音楽大学卒業後、東西ドイツ各地の歌劇場で経験を積む。ハンブルク国立歌劇場、マンハイム国民劇場を経て、1970~72年ウィーン国立歌劇場指揮者、73~77年ハンブルク国立歌劇場音楽総監督、80~85年スイス・ロマンド管弦楽団音楽監督、1984~96年バンベルク交響楽団首席指揮者を歴任。1962年からバイロイト音楽祭に登場、ワーグナー指揮者として高く評価された。73年(昭和48)初来日してNHK交響楽団に客演、75年同楽団の名誉指揮者に推された。ドイツの典型的な劇場指揮者で、とくにワーグナーに真価を発揮。コンサートではブルックナー、ベートーベンに重厚な味わいをみせた。

[岩井宏之]

『長谷恭男著『斜めから見たマエストロたち』(1990・同成社)』


シュタイン(Ludwig Stein)
しゅたいん
Ludwig Stein
(1859―1930)

ドイツの哲学者、社会学者、政治学者。ベルリン大学教授。E・ツェラーEduard Zeller(1814―1908)に師事し、カントの批判主義を批判的に摂取し、これと進化論的哲学との結合を試みた。この立場から、古代から現代に至る諸思想を社会状況との関連においてとらえる社会思想史的観点をとり、文化哲学の課題は社会問題であるとした。雑誌『哲学史論叢(ろんそう)』Archiv für Geschichte der Philosophieなどの編集者の一人でもある。

[小池英光 2015年2月17日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュタイン」の意味・わかりやすい解説

シュタイン
Stein, Karl, Freiherr vom und zum

[生]1757.10.26. ナッサウ
[没]1831.6.29. カッペンベルク
ドイツ,プロシアの政治家。 1780年からプロシア政府に勤務し,1804年税務・商工担当相となったが,翌年カビネット (官房) 制度改革案を国王フリードリヒ・ウィルヘルム3世に進言し罷免された。引退中ナッサウ覚え書を草した。イェナの敗戦 (→イェナ=アウエルシュテットの戦い ) 後,07年再び起用され,いわゆるシュタイン改革を断行。同年隷農制を廃止して農民解放の先鞭をつけ,08年都市条例により,絶対王政のもとで圧殺されていた都市の自治を再建するとともにこれを民主化し,市民の選挙による市会を設置した。同年 11月合理的な中央集権的行政制度を立法化したが,即日ナポレオン1世によって罷免された。罷免の背後にユンカー階級の自己の特権擁護のための暗躍があったことは見逃せない。彼はオーストリアに逃れ,12年ロシア皇帝の顧問となった。ドイツ解放とナポレオン打倒に奔走し,ウィーン会議にはロシア皇帝の顧問として出席したが,彼の理想主義的国民主義は会議を動かしえなかった。以後故郷に帰り,26年ウェストファリア州会議長をつとめた。この間 19年には「古ドイツ史協会」を設立して『モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ』 Monumenta Germaniae Historica編纂の基礎をおき,この事業は今日まで引継がれている。シュタイン改革案は当時種々の障害にあい全面的には実現できなかったが,K.ハルデンベルクに引継がれ,近代国家化のために重要な役割を果した。

シュタイン
Stein, Edith

[生]1891.10.12. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1942.8.9. オシフィエンチム
ユダヤ人でドイツの女性哲学者。修道名 Theresia Benedicta a Cruce。 E.フッサールの弟子でその助手を務めた。アウシュウィッツ (現オシフィエンチム) の強制収容所で死亡。 1922年カトリックに改宗,1922~31年シュパイアーの女子ドミニコ会教師,1933年ケルン,1938年エヒト (オランダ) の各女子カルメル会修道女。フッサールの現象学的方法を適用してトマス・アクィナスを研究した。主著『国家論』 Eine Untersuchung über den Staat (1924) ,『フッサールの現象学と聖トマス・アクィナス 』 Husserls Phänomenologie und die Philosophie des hl. Thomas v. Aquino (1929) ,『有限なるものと永遠の存在』 Endliches und ewiges Sein (1950) 。なお,全集 (5巻,1950~59) ,コンラート・マルティウスとの書簡集 (1960) がある。

シュタイン
Stein, Lorenz von

[生]1815.11.15. エッケルンフェルデ,ボールビ
[没]1890.9.23. ウィーン,バイディンガウ
ドイツの法学者,社会学者。キールとイエナ大学で哲学・法学を学ぶ。 1841年からパリ留学,フランスの社会主義・共産主義者と接触した。 46年キール大学教授となったのち,55年から 88年までウィーン大学の国家学教授。ヘーゲル法哲学とフランス社会主義の影響のもとに,階級対立をはらんだ市民社会に君主の行政が介入することによって労働者階級を保護するという独特の社会君主論を唱えた。ほかに経済学,行政学,財政学の分野でも業績を残している。 82年,憲法起草準備のため渡欧した伊藤博文を指導して,影響を与えたことでも有名である。主著『平等原理と社会主義 (原題:今日のフランスにおける社会主義と共産主義) 』 (1842) 。

シュタイン
Stein, Peter

[生]1937. ベルリン
ドイツの演出家。 1970~85年,西ベルリンのシャウビューネ劇場の芸術監督をつとめ,詳細な歴史考証に基づく重層的な解釈による古典の上演で,一世を風靡する。その舞台は,ドラマターグを活用した集団指導によるもので,西欧近代についての鋭い批評性に満ちていると評価される。代表作に『シェークスピア・記憶』 (1966) ,イプセンの『ペール・ギュント』 (71) ,チェーホフの『三人姉妹』 (84) など。

シュタイン
Stein, Charlotte von

[生]1742.12.25. アイゼナハ
[没]1827.1.6. ワイマール
ドイツ,ワイマール大公国の公妃侍女。 1764年フリードリヒ・シュタイン男爵と結婚,75年ゲーテと知合って恋愛関係に入り,12年間の交際を通してゲーテの作家的成長に大きな影響を与えた。ゲーテの作品『タウリスのイフィゲーニェ』のイフィゲーニェ,『ウィルヘルム・マイスター』のナタリエは彼女の人物像から着想された。

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改訂新版 世界大百科事典 「シュタイン」の意味・わかりやすい解説

シュタイン
Karl Reichsfreiherr vom und zum Stein
生没年:1757-1831

プロイセンの政治家。ナッサウの帝国騎士の出身。ゲッティンゲン大学で法学を修め,1780年プロイセンの官吏となる。1804年商工業担当大臣となったが,国王の側近政治を批判し,07年1月罷免された。しかし同年10月,ティルジットの和約直後,国家再建のため登用され,翌年11月まで事実上の首相としてプロイセン改革に着手する。在任中に十月勅令で農民の人格的自由,都市条例で市民の自治,行政改革で集権的内閣制度を実現したが,反フランス蜂起画策のかどでナポレオンの圧力で罷免され,内政改革はハルデンベルクに継承された。罷免後,オーストリア経由でロシアに赴き,1812年ツァーリの顧問となり,対フランス解放戦争に活躍した。その後のウィーン会議では彼のドイツ帝国構想はメッテルニヒにいれられず,政界第一線から退き,余生をドイツ中世史料集《モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ》の刊行事業に捧げた。
執筆者:


シュタイン
Lorenz von Stein
生没年:1815-90

ドイツ・オーストリアの政治学者。シュレスウィヒの貴族の家庭に生まれたが,平民の母親の不遇をみて爵位を辞したという。キール,イェーナ大学で法学,哲学を学び,ベルリン大学の法学博士号を受けた後,パリに遊学して社会主義者と交流した。《現代フランスにおける社会主義と共産主義》(1842)はドイツにおける社会主義文献の先駆といわれる。1846年キール大学教授となるが,政治活動を理由に52年罷免された。55年よりウィーン大学教授。ヘーゲルと社会主義者の影響下で,階級闘争の市民社会を階級中立的な君主が抑制し,弱者である労働者階級を保護するという社会君主制論を唱えた。経済学,行政学,財政学など広範な分野に業績を残したドイツ語圏における社会科学の先駆者の一人。82年伊藤博文に憲法の基本原則を講じ,とくに過激自由主義の誤り,民族的伝統尊重の必要,君主権の重要性などを強調した。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「シュタイン」の意味・わかりやすい解説

シュタイン

プロイセンの政治家。ナッサウの帝国騎士の家柄出身。1780年プロイセンに仕官。1804年商工・税務担当の大臣となったが,1807年国政改革を進言して国王と対立,罷免された。ティルジット条約後再び起用されて1807年―1808年国政を指導,プロイセン改革の一環としてシュタイン=ハルデンベルクの改革を行った。しかし反対派のため失脚,ロシアに亡命し,アレクサンドル1世の助言者としてナポレオン打倒のために奔走した。1819年古代ドイツ史学協会を設立し《モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ》の発刊に貢献。
→関連項目グナイゼナウハルデンベルク

シュタイン

ドイツの法学者,財政学者,社会学者。ウィーン大学教授。ヘーゲル哲学から出発してドイツ的社会科学の体系を確立。法を社会発展の所産と説き法社会学の先駆をなし,行政学を階級対立を緩和する政策の原理とし,財政学では租税再生産力説で知られる。フランス社会運動史に関する著書もある。保守的な社会改良主義者で,1882年渡欧中の伊藤博文に憲法を講じ,大きな影響を与えた。
→関連項目陸奥宗光

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シュタイン」の解説

シュタイン(カール・フライヘル・フォム)
Karl Reichsfreiherr vom und zum Stein

1757~1831

ドイツの政治家でプロイセン改革の指導者。西ドイツ,ナッサウ生まれの帝国騎士で,ゲッティンゲン大学時代にイギリス自由主義の影響を受け,プロイセンに仕官後は鉱山行政,御料地管理などに活躍,1804年からは中央で大臣となったが,絶対主義批判のため罷免。ティルジット条約後の難局にあたって再び起用され,07年10月より翌年11月まで国政を指導,「十月勅令」「都市条令」で農民解放と地方自治近代化の口火を切った。反ナポレオン運動にかかわって追放されてのちはオーストリアからロシアに亡命,ナポレオン打倒に奔走した。19年ドイツ古史学協会を設立,ドイツ史料集『モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ』(MGH)の発刊に多大の貢献をした。


シュタイン(ローレンツ)
Lorenz von Stein

1815~90

ドイツの行政・財政・社会学者。キール大学教授(1846年),のちウィーン大学教授となる(55年)。憲法取り調べのため渡欧した伊藤博文(82年)をはじめ明治政府の要人に教えを与えた。工業社会における社会問題の重要性を認識,『現代フランスの社会主義と共産主義』(42年)によって知られる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「シュタイン」の解説

シュタイン
Lorenz von Stein

1815.11.15~90.9.23

ドイツの公法・経済・行政学者。キール大学で学び,パリに留学。1855年ウィーン大学教授となり,政治学・経済学を講義。君主権の強い立憲制の立場をとった。82年(明治15)憲法調査に訪れた伊藤博文に,日本の国体を尊重した憲法の制定を助言。伊藤の憲法起草に大きな影響を与えた。以後,渡欧した山県有朋(やまがたありとも)・黒田清隆ら政府首脳にも助言を行った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「シュタイン」の解説

シュタイン Stein, Lorenz von

1815-1890 ドイツの法学者,行政学者。
1815年11月15日生まれ。ウィーン大教授。1882年(明治15)渡欧した伊藤博文らに立憲君主国のとるべき憲法・行政法を講義し,明治憲法制定のうえでおおきな影響をあたえた。その講義内容は伊東巳代治(みよじ)の「斯丁(シユタイン)氏講義筆記」にうかがえる。1890年9月23日死去。74歳。シュレスウィッヒ出身。

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旺文社世界史事典 三訂版 「シュタイン」の解説

シュタイン
Karl Reichsfreiherr vom und zum Stein

1757〜1831
ナポレオン戦争期のプロイセンの政治家
近代的内閣制度の確立の構想を進言して免官されたが,1807年のティルジット条約以後,国務長官としてプロイセンの復興と近代化につとめた(シュタイン−ハルデンベルクの改革)。翌年,ナポレオン1世に罷免され,ロシアに亡命して解放戦争を指導した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「シュタイン」の解説

シュタイン
Lorenz von Stein

1815〜90
ドイツの法学者・社会学者
ウィーン大学教授。君主権の強い立憲制を主唱。1882年憲法調査のため渡欧した伊藤博文にプロシア系憲法を教えた。グナイストとともに大日本帝国憲法の成立に関係がある。

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367日誕生日大事典 「シュタイン」の解説

シュタイン

生年月日:1815年11月15日
ドイツの国家学者,社会学者
1890年没

シュタイン

生年月日:1859年11月12日
ドイツの哲学者
1930年没

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20世紀西洋人名事典 「シュタイン」の解説

シュタイン


スタインをも見よ。

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デジタル大辞泉プラス 「シュタイン」の解説

シュタイン

ぺんてる株式会社の替え芯の商品名。従来品より折れにくい。

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世界大百科事典(旧版)内のシュタインの言及

【クレムス】より

…12世紀初め国王領から辺境伯(のち太公)バーベンベルク家の直轄都市となり,商業・交通上,領邦オーストリア第1の要地になったが,世紀後半にはウィーンに席を譲った。対岸のシュタインとは1250年以来共通の都市共同体を形成し,1305年にはともにウィーン都市法を継受,1849年いったん分離するが1939年広域のクレムス市として再統合された。1945‐55年にはソ連軍が進駐していた。…

【モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ】より

…ドイツ中世史の史料集。略号MGh。プロイセンの宰相であったK.R.vom und zumシュタインが,政界引退後,ドイツ民族の統一を悲願とし,1819年ドイツ古史学協会Gesellschaft für ältere deutsche Geschichtskundeを創設,若くしてすぐれた歴史家ペルツGeorg Heinrich Pertz(1795‐1876)の協力で編集が開始され,ゲルマン民族に関する紀元500年から1500年までの主要史料を,可能な限り厳密な原典批判を加えて編纂・刊行した。…

【ドイツ】より

…新領土統合の必要から,あるいはまたプロイセンのように,ナポレオンに敗れて存亡の危機にした国家再建の必要から,各国は,多かれ少なかれフランスの影響下に,新国家の建設にも匹敵する根本的な改革を行うことになった。その最も有名な例はシュタインとハルデンベルクの指導下に行われたプロイセン改革だが,他の国でも,多くは開明的官僚の指導で大々的な国制改革が行われており,バイエルンバーデンビュルテンベルク等,今日の西ドイツの連邦州(ラント)に連なる中堅諸国も,この時代の改革を通じて新たに発足したといってよい。ナポレオンに対する解放戦争ののちウィーン会議で組織されたドイツ連邦は,このような諸国家の連邦である(図2)。…

※「シュタイン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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