…コンスタンティノープルで教育を受け,兄が公位を追われた後,公に推された。同時に首都はプリスカからブルガリア東部のプレスラフPreslavに移された。豊かな教養人であった彼は政治家としても優れ,国内のキリスト教化と国力の増強に努め,数多くの戦いでビザンティン軍や近隣の諸国を破り,前後3回にわたってコンスタンティノープルに迫り(896,913,923),貢納を義務づけた。…
…この改宗は,今日まで,ブルガリアの文化的,政治的な方向に大きな影響を与えることになった。
[第1次ブルガリア帝国]
ボリスの後を継いだ息子のシメオン世(在位893‐927)の時代に,ブルガリアはプレスラフPreslav(シュメン南東)に遷都し,ビザンティン帝国などとたびたび戦ってエーゲ海とアドリア海にまで領土を拡大し,フランク王国と肩を並べるヨーロッパの一大勢力を誇った。さらに913年,シメオンは〈ブルガリア皇帝(ツァールCar)〉の称号を認められた。…
※「プレスラフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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