ボレスワフ(1世)
ぼれすわふ
Bolesław Ⅰ
(966/967―1025)
ポーランド王。あだ名は勇敢王Chrobry。ミェシコ1世の子。992年に公となり、ポーランド国家の統一と強化に努めた。ドイツ人の干渉の口実をなくすため、積極的にキリスト教を広め、1000年グニェズノに大司教座を設け、同地にドイツ皇帝オットー3世を迎え、政治的協力関係を結んだ。しかしオットーの死後、その後継者ハインリヒ2世と戦い勝利を収め、領土を獲得した。1003~1004年にはチェコを支配し、1018年の東方遠征では一時キエフ(現、キーウ)を占領し、領土を拡大した。晩年の1025年にポーランド国王の称号を受け、グニェズノで盛大な即位式を行い、ポーランドの国際的地位が上昇したことを内外に示した。
[安部一郎]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内のボレスワフの言及
【ハインリヒ[2世]】より
…オットー3世が子供を残さず早世した後,傍系から入って王位を継いだ。前任者オットー3世のイタリア重視政策に対し,ドイツ国内の体制固めに努め,とくにポーランド王ボレスワフ1世と争って,その進出を押さえ,ザクセン朝伝統の[帝国教会政策]を踏襲,バンベルク司教区を新設したほか,ゴルツェ修道院の主導する教会改革を支持した。【平城 照介】。…
【スタニスワフ】より
…修道士としてグニェズノ,パリで学び,ローマ教皇アレクサンデル2世によってクラクフの司教に任命された。当時のポーランドは内紛のため混迷状態にあり,しかも国王ボレスワフ2世Bolesław IIはキエフ・ロシアに遠征していた。スタニスワフは,国王の失脚をねらっていたウワディスワフに荷担していたらしい。…
【ポーランド】より
…隣国と支配圏が複雑に交錯している状態を想定すべきである)。 ミエシュコ1世の後を引き継いだボレスワフ勇敢王Bolesław Chrobry(966ころ‐1025)は,その支配地域を異教徒の住む[プロイセン]地方に広げるため,プラハ司教[ボイチェフ](アダルベルト)に布教を依頼し,彼が殉教するとその事実をローマの教皇に伝えるとともにグニェズノ大司教座(マクデブルク大司教座からの独立を意味する),クラクフ司教座(マウォポルスカ地方の布教を担当),ブロツワフ司教座(シロンスク地方の布教を担当),コウォブジェクKołobrzeg司教座(ポモジェ地方の布教を担当)を設置する許可を得た。西暦1000年(最後の審判の年だと信じられていた),グニェズノに埋葬された聖人ボイチェフの墓に詣でた神聖ローマ皇帝オットー3世は,大司教座の設置とともにボレスワフ勇敢王に王冠を授けている(教皇の認可を得るのは1025年)。…
【ポーランド】より
…隣国と支配圏が複雑に交錯している状態を想定すべきである)。 ミエシュコ1世の後を引き継いだボレスワフ勇敢王Bolesław Chrobry(966ころ‐1025)は,その支配地域を異教徒の住む[プロイセン]地方に広げるため,プラハ司教[ボイチェフ](アダルベルト)に布教を依頼し,彼が殉教するとその事実をローマの教皇に伝えるとともにグニェズノ大司教座(マクデブルク大司教座からの独立を意味する),クラクフ司教座(マウォポルスカ地方の布教を担当),ブロツワフ司教座(シロンスク地方の布教を担当),コウォブジェクKołobrzeg司教座(ポモジェ地方の布教を担当)を設置する許可を得た。西暦1000年(最後の審判の年だと信じられていた),グニェズノに埋葬された聖人ボイチェフの墓に詣でた神聖ローマ皇帝オットー3世は,大司教座の設置とともにボレスワフ勇敢王に王冠を授けている(教皇の認可を得るのは1025年)。…
【ポーランド】より
…隣国と支配圏が複雑に交錯している状態を想定すべきである)。 ミエシュコ1世の後を引き継いだボレスワフ勇敢王Bolesław Chrobry(966ころ‐1025)は,その支配地域を異教徒の住む[プロイセン]地方に広げるため,プラハ司教[ボイチェフ](アダルベルト)に布教を依頼し,彼が殉教するとその事実をローマの教皇に伝えるとともにグニェズノ大司教座(マクデブルク大司教座からの独立を意味する),クラクフ司教座(マウォポルスカ地方の布教を担当),ブロツワフ司教座(シロンスク地方の布教を担当),コウォブジェクKołobrzeg司教座(ポモジェ地方の布教を担当)を設置する許可を得た。西暦1000年(最後の審判の年だと信じられていた),グニェズノに埋葬された聖人ボイチェフの墓に詣でた神聖ローマ皇帝オットー3世は,大司教座の設置とともにボレスワフ勇敢王に王冠を授けている(教皇の認可を得るのは1025年)。…
※「ボレスワフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」