日本大百科全書(ニッポニカ) 「あだ名」の意味・わかりやすい解説
あだ名
あだな
nickname
容貌(ようぼう)、挙動、習癖などによる人の特徴に基づいて、実名以外に他人によって名づけられた名称。愛称名もあるが嘲笑(ちょうしょう)名もあり、本人が承認しない例が多い。本人が認めれば人格と不可分のものとなり、通称となる。大きな特徴は通用範囲が限られていることである。
命名動機には次のようなものがあげられる。
(1)容姿に基づくもの 顔の特色、体格などの特徴をとらえたもの。たとえば、全国的にいわれていることだが、極端にやせている子を、ガイコツなどとよんでいる例である。色黒の小さな人を「椎(しい)の実」(椎の実は表皮をむくと黒い細い小さな実が出てくる)とよぶのも体全体の特徴をとらえたものである。これも全国的であるが顔が小さく、いつもちょこちょこした人を「イタチ」とよぶ所は多い。青森県五戸(ごのへ)町では「トマッコオ」(イタチの方言名)とよんでいる。
(2)行動、経歴によるもの 秋田県能代(のしろ)市で「アミダ」とよばれるのは、朝夕阿弥陀(あみだ)を念じ称名を唱えて後生楽(ごしょうらく)を願っていたのが四隣に聞こえて、こう名づけられたという。あるいは鹿児島県の種子島(たねがしま)で1日に1反(たん)5畝(せ)の田の草取りをしたので「一反五畝」とよばれるようになったとか。この分野のあだ名は、概して、周囲の者が驚嘆した意識があり、嘲笑的意識は少ない。
(3)習癖、性格からくるもの これには比較的蔑視(べっし)の意識を含んだ命名が多い。ヒャクイチ、センイチ、マンイチ、など、百一、千一、万一はいずれも嘘(うそ)つきのことで、百に一つ本当のこと、千一も同じく千に一つ、万に一つで、辛辣(しんらつ)な表現である。
あだ名の命名動機は(1)(3)がもっとも多く、比較的全国共通したものがある。(2)は本人の異常経験などが命名となっているので、その地域外では理解されにくい。このほか出身地、職業などからあだ名になったものも多い。あだ名は個人だけでなく、家につけられて屋号になっているものもある。家号的あだ名といわれるもので、これには由来譚のついているものが多い。さらに地域全体をさすものもある。あだ名の発生遠因は、本名をよぶことを忌避(きひ)した習俗に基づくものであるが、その作成は、日本人の言語芸術の現れの一つでもある。
[鎌田久子]
欧米ではニックネームとよばれ、広く本名以外の呼称や愛称をさす。ギリシア・ローマ時代に、ヘロドトスを「歴史の父」、プラトンを「アテネの蜂(はち)」、ヒポクラテスを「医聖」などとよんだが、キリスト教時代になると国王、武将、聖職者、政治家などの容貌の特徴を揶揄(やゆ)したり、その生涯をたたえたりしたあだ名が一般にいわれるようになった。残虐の代名詞のようにいわれるローマの第5代皇帝ネロは、母、妻、政敵、廷臣を次々に殺し、さらに多数のキリスト教徒を虐殺したというので「暴帝」とよばれた。ロシアのイワン4世も国政の中心であった大貴族たちを排除弾圧し、極端な専制政治を行って「雷帝(らいてい)」と称され、また「恐怖王」ともよばれた。エジプトの女王クレオパトラ7世はローマ人から「ナイルの魔女」といわれて嫌悪されたが、彼女に夫のアントニウスを誘惑されたオクタビアはよく耐え忍んで「ローマの貞女」の名を残した。フランス・ブルボン王朝の黄金時代を築いたルイ14世には「太陽王」の名がある。スペイン中央部にあった王国カスティーリャ・レオンの王ペドロ1世は結婚の翌朝、妻を離縁するなどして「残虐王」とよばれたが、彼の祖父アルフォンソ10世は治世に優れ「賢王」といわれている。
ソ連の政治家スターリンの名は広く知られているが、スターリン(鋼鉄の男)は革命運動中の匿名で、ツアーの官憲は彼のことをその容貌から「リャボイ」(あばた面)とよんでいた。バージン・クイーンの名のある独身のイギリス女王エリザベス1世にちなんで名づけられたアメリカ合衆国のバージニア州は、ワシントン、ジェファソンほか多くの大統領を輩出しているところから「大統領の母」とよばれている。クリスチャンネームのジョンをジャック、エリザベスをベッティとよんだり、イギリス人をジョン・ブル、アメリカ人をアンクル・サムとよぶのも愛称の一種である。宇宙船、特別列車、道路ほかスポーツ・チームなどニックネームでよばれるものは数多く、第二次世界大戦で活躍した日本海軍の戦闘機零戦(ぜろせん)も、米軍はその型式によってゼロ、ジーク、ハップ(のちハンプ)などとよんでいた。また、変わったものには、日本人旅行者がパリの簡易公衆便所にその形態から連想して名づけた「エスカルゴ」などもある。
[佐藤農人]