朝日日本歴史人物事典 「ムラヴィヨーフ」の解説
ムラヴィヨーフ
生年:露暦1809.8.11(1809.8.23)
ロシアの軍人,政治家。1847年から1861年にかけてイルクーツクおよびエニセイ県知事兼東シベリア総督。1858年清国と愛琿条約を締結し,アムール川の航行権を獲得するとともに,この川をもって露清両国の国境とした功績によって伯爵に叙され,アムールスキーの称号を授けられた。安政6(1859)年軍艦6隻を率いて品川沖に来航し,サハリンをロシア領と認めるよう江戸幕府にせまったが,これは成功しなかった。1861年退役し,国家評議会議員を務めたあと,パリで暮らし,この地で死亡した。1991年,遺言にしたがってウラジオストクに墓が建設され,パリからこの地に遺骨が移された。
(外川継男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報