ヤニツァコステリッツ(英語表記)Janica Kostelić

現代外国人名録2016 「ヤニツァコステリッツ」の解説

ヤニツァ コステリッツ
Janica Kostelić

職業・肩書
スキー選手 ソルトレークシティ五輪・トリノ五輪金メダリスト

国籍
クロアチア

生年月日
1982年1月5日

出生地
ユーゴスラビア・クロアチア共和国ザグレブ(クロアチア)

受賞
ローレウス・スポーツ賞〔2006年〕

経歴
両親は元プロハンドボール選手。父はユーゴスラビアの女子監督としてチームをモスクワ五輪銀メダルに導く。兄イヴィツァ・コステリッツとともに7歳でスキーを始め、1998年長野五輪ではアルペン5種目に出場複合で8位に入賞。2000〜2001年シーズンのアルペンスキーW杯回転で8連勝し、女子総合優勝を決め、クロアチアのアイドルとなる。その後のシーズンオフに左膝を3度手術するが、2002年1月回転第7戦で3位となり復活を見せる。2月のソルトレークシティ五輪では複合でクロアチアに初の金メダルをもたらし、続く回転、大回転でも金メダル、スーパー大回転では銀メダル。1大会4メダル獲得は男女を通じてアルペン史上初。開会式では旗手も務めた。2003年世界選手権回転、複合で金メダル。2002〜2003年シーズンのW杯は回転と複合で種目別優勝を果たし、2度目の総合優勝。2004〜2005年シーズンはW杯総合2位。世界選手権は回転、複合、滑降で金メダルを獲得し、23年ぶりの世界選手権3冠を達成。2005〜2006年シーズンはW杯で3度目の総合優勝を果たし、トリノ五輪複合で金メダル、スーパー大回転で銀メダルを獲得した。2006〜2007年シーズン終了後、競技からは引退。W杯通算30勝。2006年スポーツの各分野で活躍した選手から選ばれるローレウス・スポーツ賞を受賞した。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「ヤニツァコステリッツ」の解説

ヤニツァ コステリッツ
Janica Kostelić
スキー

スキー選手(アルペン) トリノ五輪金メダリスト
生年月日:1982年1月5日
国籍:クロアチア
出生地:ザグレブ
受賞歴:ローレウス・スポーツ賞〔2006年〕
経歴:両親は元プロハンドボール選手。父はユーゴスラビアの女子監督としてチームをモスクワ五輪銀メダルに導く。兄イビツァ・コステリッツとともに7歳でスキーを始め、1998年長野五輪ではアルペン5種目に出場、複合で8位に入賞。2000〜2001年シーズンのアルペンスキーW杯の回転で8連勝し、女子総合優勝を決め、クロアチアのアイドルとなる。その後のシーズンオフに左膝を3度手術するが、2002年1月回転第7戦で3位となり復活を見せる。2月のソルトレークシティ五輪では複合でクロアチアに初の金メダルをもたらし、続く回転、大回転でも金メダル、スーパー大回転では銀メダル。1大会4メダル獲得は男女を通じてアルペン史上初。開会式では旗手も務めた。2003年世界選手権回転、複合で金メダル。2002〜2003年シーズンのW杯は回転と複合で種目別優勝を果たし、2度目の総合優勝。2004〜2005年シーズンはW杯総合2位。世界選手権は回転、複合、滑降で金メダルを獲得し、23年ぶりの世界選手権3冠を達成。2005〜2006年シーズンはW杯で3度目の総合優勝を果たし、トリノ五輪複合で金メダル、スーパー大回転で銀メダルを獲得した。2006〜2007年シーズン終了後、引退。W杯通算30勝。2006年スポーツの各分野で活躍した選手から選ばれるローレウス世界スポーツ賞を受賞した。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

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