ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リグリア共和国」の意味・わかりやすい解説
リグリア共和国
リグリアきょうわこく
Repubblica Ligure
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…フランス革命後の97年5月,ジェノバはフランス軍に占領され,16世紀以来の貴族政共和国は解体した。同年11月,フィリッポ・ブオナローティの指導の下に〈リグリア共和国〉が成立したが,1805年にフランスに併合され,さらにウィーン会議の後,ジェノバはサルデーニャ王国領となった(1815年1月)。しかし,その共和政の伝統は根強く存続した。…
…12世紀以後,ジェノバ共和国がこの地方のヘゲモニーを握った。1797年,ナポレオンが寡頭制になっていたジェノバ共和国に代わって,リグリア共和国を作ったが,1805年にフランス帝国領になり,15年ナポレオン失脚後はピエモンテ地方に合併されてサルデーニャ王国の一部となった。統一後の経済発展は軍需産業の立地およびファシズム期の国家資本による重工業への肩入れに負うところが大きく,それが今日この地方の工業地域にとっての足枷(あしかせ)にもなっている。…
※「リグリア共和国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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