出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
〈りゅうあんじ〉ともいう。京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺。大雲山と号する。当寺の場所にはもと左大臣藤原実能が建立した徳大寺があったが,これを室町幕府の管領(かんれい)細川勝元が譲り受け,1450年(宝徳2)妙心寺の義天玄詔を招いて禅院を開創した。玄詔は師の日峰宗舜を開山にして,みずからは2世となった。これが当寺の起源である。応仁の乱で回禄したが,勝元の子の管領細川政元が徳芳禅傑を招いて復興,禅傑は中興の祖といわれる。細川家の保護厚く,盛時には塔頭(たつちゆう)21院(一説に16院)を数えた。近世の寺領は72石。だが1797年(寛政9)炎上し,そののち塔頭西源(さいげん)院方丈を移建して当寺方丈(重要文化財)とするなど復興につとめ寺観も旧に復したが,現存の塔頭は境内鏡容池の北岸にある大珠院,西源院,霊光院の3院のみである。なお寺内に細川勝元夫妻,同政元・同氏綱など歴代管領細川家の墓があり,また大珠院の前の池中に真田幸村の墓と伝える石塔がある。細川氏関係の古文書も伝蔵するが,紙本墨書《太平記》12冊(重要文化財)は,徳川光圀の加筆もあって有名である。
執筆者:藤井 学
方丈南側の前庭として,南と西を築地塀に囲まれた約250m2の平地に,15個の石を東より5,2,3,2,3個の5群に配し,白砂を敷いただけの簡潔な構成は,すぐれた意匠との評価が高く特別名勝・史跡に指定され,世界的にも著名な庭園の一つである。1645年(正保2)に庭を〈虎の子渡し〉とした記録があるが,五智五仏や十六羅漢の遊行のさまを表すといわれたり,あるいは中国の五岳や禅の五山になぞらえたり,大海に浮かぶ島々,激流中の岩頭,雲海の上にそびえる高峰などと,見る人の自由な解釈を可能にしている。作庭年代も室町説と江戸説に分かれ,したがって作者にも多様な人物があげられ,そのなぞはいまだに解けない。1797年の方丈焼失後,現方丈の移建に伴って,東の2群の庭石を若干(東へ1~1.5m)移動させたと考えられるふしもある(国立公文書館所蔵《竜安寺方丈前庭之図》による)。久しく桟瓦葺き(さんがわらぶき)であった築地塀の屋根も,諸資料に基づいて,1978年3月,杮葺き(こけらぶき)に改められた。
執筆者:村岡 正
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…作庭年代も室町説と江戸説に分かれ,したがって作者にも多様な人物があげられ,そのなぞはいまだに解けない。1797年の方丈焼失後,現方丈の移建に伴って,東の2群の庭石を若干(東へ1~1.5m)移動させたと考えられるふしもある(国立公文書館所蔵《竜安寺方丈前庭之図》による)。久しく桟瓦葺き(さんがわらぶき)であった築地塀の屋根も,諸資料に基づいて,1978年3月,柿葺き(こけらぶき)に改められた。…
※「竜安寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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