デジタル大辞泉
「竜安寺」の意味・読み・例文・類語
りょうあん‐じ【竜安寺】
京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は、大雲山。藤原実能の別荘近くにあった徳大寺の地に細川勝元が寺を建て、宝徳2年(1450)義天玄承を招き、その師日峰宗舜を開山としたのが始まり。応仁の乱で焼失、徳芳禅傑が再興。現在の方丈は塔頭西源院の建物を移築したもの。方丈庭園は相阿弥作と伝えられ、石と砂だけで構成された枯れ山水で虎の子渡しの庭とよばれて有名。平成6年(1994)「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。りゅうあんじ。
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竜安寺【りょうあんじ】
京都市右京区竜安寺御陵ノ下町にある臨済宗妙心寺派の寺。本尊釈迦如来。細川勝元が1450年創立,大寺であったが応仁の乱で焼失,さらに1797年失火により焼失,のち西源院から方丈を移築。方丈前の庭は境内の樹林を借景とし,白砂の上に15個の石を配置した典型的な枯山水で,〈虎の子渡しの庭〉と呼ばれ,特別名勝に指定されている。歴代管領細川家の墓がある。1994年世界文化遺産に登録される。
→関連項目右京[区]|京都[市]|古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)
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竜安寺
りょうあんじ
京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺
1450年細川勝元が創建。以後細川氏の保護をうけ,同氏歴代の墓がある。ここの方丈前庭の石庭は,枯山水庭園の代表的なもので,長方形の平地へ白砂をしき,ほうき目で波紋の形をつくり,5群15個の石を巧みに配し,俗に「虎の子渡し」といわれる。作者は不明。
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りょうあんじ【竜安寺】
〈りゅうあんじ〉ともいう。京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺。大雲山と号する。当寺の場所にはもと左大臣藤原実能が建立した徳大寺があったが,これを室町幕府の管領(かんれい)細川勝元が譲り受け,1450年(宝徳2)妙心寺の義天玄詔を招いて禅院を開創した。玄詔は師の日峰宗舜を開山にして,みずからは2世となった。これが当寺の起源である。応仁の乱で回禄したが,勝元の子の管領細川政元が徳芳禅傑を招いて復興,禅傑は中興の祖といわれる。
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世界大百科事典内の竜安寺の言及
【竜安寺】より
…作庭年代も室町説と江戸説に分かれ,したがって作者にも多様な人物があげられ,そのなぞはいまだに解けない。1797年の方丈焼失後,現方丈の移建に伴って,東の2群の庭石を若干(東へ1~1.5m)移動させたと考えられるふしもある(国立公文書館所蔵《竜安寺方丈前庭之図》による)。久しく桟瓦葺き(さんがわらぶき)であった築地塀の屋根も,諸資料に基づいて,1978年3月,柿葺き(こけらぶき)に改められた。…
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