改訂新版 世界大百科事典 「リコンウアン」の意味・わかりやすい解説
リ・コン・ウアン (李公蘊
)
Ly Cong Uan
生没年:974-1028
ベトナムのリ(李)朝の創始者(在位1009-28)。タイト(太祖)とも呼ぶ。現在のハバック省の生れ。母ファム(范)氏と神人の間の子と伝えられる。仏寺で学問を修め,前レ(黎)朝のチュントン(中宗)に仕え,レ・ロン・ディン(黎竜鋌)の時,殿前指揮使に昇任して軍事を握った。1009年ディンの死後,みずから帝位にのぼり年号を順天とした。10年,これまでディン(丁)・前レ2朝の都であったホアル(華閭)城が狭隘であるとしてタンロン(昇竜。現,ハノイ)に遷都し,宮殿,仏閣を大規模に造成した。宋はウアンを交趾郡王として自立を認めた。ウアンは即位後,軍制,税制の整備に力を注ぎ,一方で宋から三蔵経を輸入し盛んに仏教寺院を建立して,ベトナムに中国風国家を建設しようとした。
執筆者:桜井 由躬雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報