改訂新版 世界大百科事典 「ルロアボーリュー」の意味・わかりやすい解説
ルロア・ボーリュー
Paul Leroy-Beaulieu
生没年:1843-1916
フランスの経済学者,経済ジャーナリスト。1872年から自由政治大学の財政学担当教授,80年から,義父ミシェル・シュバリエの後を襲ってコレージュ・ド・フランスの政治経済学担当正教授。政界入りをも志し,パリ市会や下院などの選挙に数回出馬したが,当選は果たさなかった。《財政学概論》(1877),《近代諸国民のもとでの植民》(1882),《団体主義--新しい社会主義の批判的検討》(1884),《政治経済学概要》(1888)をはじめとして多数の大著があり,いずれも20世紀初頭までに多数の版を重ねた。1873年には,イギリスの《エコノミスト》に範をとった経済・金融週刊誌《エコノミスト・フランセL'Économiste français》を創刊し,以後同誌上で,同時代の経済および政治問題について,厳密でかつ体系的な,鋭い分析のメスをふるった。《エコノミスト・フランセ》は今日,第三共和政の経済・金融史研究のための第一級の資料とされている。ルロア・ボーリューの経済学上の立場は正統的な自由主義経済学のそれであり,とくに保護貿易主義,団体主義にたいしては厳しい反対の論陣を張ったため,反対者たちから恐れられた。
執筆者:権上 康男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報