ロンドンで発行されている,世界で最も古くまた最も権威ある経済問題中心の週刊誌。1843年9月2日,銀行家兼下院議員で,銀行学派に属するウィルソンJames Wilsonによって,商業,工業,農業のあらゆる部門で,事実と密接な関連を保ちつつ,実際家に役に立つ記事を提供することを目的に,彼自身を主筆として創刊された。発刊当時は,実際上の主目標は穀物法の撤廃に置かれ,R.コブデン,J.ブライト,J.S.ミル,T.ホジスキンらの多くの論客が寄稿し,反政府的色彩が強かった。60年以降,女婿のW.バジョットが主筆となり,終生(-1877)健筆をふるい,名編集者としてますます同誌の名声を高めた(当時の発行部数約3000部)。1943年9月(当時は約1万部),創刊100年を記念して経済問題だけでなく,広く社会諸事象をも取り扱うことにするとともに,単に寄稿家の意見を掲載するだけでなく,同誌独自の意見をもつために,Economist Intelligence Unitを創立し,今日,ロンドンだけでも1000余人,日本を含む世界の大多数の国の現地支所を合わせると優に1万を超す職員を擁している。現在,その発行部数の半ば近くは海外向けであり,また創刊以来,掲載論文のすべては無署名という方針を貫いている。エコノミスト・ニューズペーパー社が発行。
執筆者:早坂 忠
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(2015-8-12)
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…この名称はデュポン・ド・ヌムールがケネーの著作集を編集してこれに《Physiocratie》(1767)の名称をつけたからであり,それが一般化したのは,おそらく19世紀中葉にL.F.E.デールが重農学派の主要著作を2巻本に編集し,この名称をつけてから以後である。重農主義者(フィジオクラットphysiocrates)たちは,自分たちをエコノミストéconomistesと呼んでいた。それが重農主義agricultural systemと呼ばれるようになったのは,A.スミスが《国富論》でそう呼んだことによるものと思われる。…
…大学卒業後フランスに渡り,ルイ・ナポレオンのクーデタの評論で注目され,帰国後,家業の銀行業をつぐほか文芸評論誌の創刊に加わった。《エコノミスト》誌の創始者ウィルソンの娘と結婚した縁で,のちに同誌の経営・編集上の責任者となった。多数の評論を残したが,その主著《イギリス憲政論》(1867)は第1次選挙法改正後の憲政のリアルな描写で有名であり,《自然科学と政治学》(1872)によって政治心理学の草分け的存在ともされる。…
※「エコノミスト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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