日本大百科全書(ニッポニカ) 「メス」の意味・わかりやすい解説
メス
めす
Metz
フランス北東部、ロレーヌ地方北部の中心都市で、モーゼル県の県都。ナンシーの北59キロメートルのモーゼル川沿いにあり、ドイツ国境に近い。ドイツ語名メッツ(同つづり)。人口市域12万3776、都市圏32万2526(1999)、市域11万7492、都市圏28万5268(2015センサス)。製鉄と炭田で知られるロレーヌの重要な工業地域に近く、その商業中心都市である。機械、自動車、精油などの工業も立地し、火力発電所がある。南西には空港があり、モーゼル川に河港をもち、高速道路、鉄道も通じる交通の要衝。中世に繁栄したため歴史的建造物が多く、高さ42メートルの身廊とみごとなステンドグラスの窓(表面積6500平方メートル)で有名なゴシック様式のサンテティエンヌ大聖堂(13~16世紀)、ロマネスクとゴシック様式のサン・マルタン教会、7世紀に教会に改築されたサン・ピエール・オ・ノナン教会、「ドイツ人の門」とよばれる市門(13~15世紀)などが残る。
[大嶽幸彦]
歴史
起源は、ガリア人によってつくられた都市ディウォドゥルムDivodurumにさかのぼり、ガリア・ローマ時代にはローマの支配のもとで、交通上の要衝として栄えた。民族大移動ののち、フランク人が支配するようになり、6世紀初めにアウストラシア王国の首都となった。メロビング朝およびカロリング朝時代には商業、政治、宗教の中心地であった。10世紀に入るとドイツ帝国領になり、13世紀には帝国自由都市となった。カール4世は1356年にこの地で帝国議会を開き、金印勅書を発布した。16世紀なかばフランス国王アンリ2世は紛争を利してこの地に侵攻、占領し、ウェストファリア条約(1648)によってフランス領に編入された。しかしその後もメスはフランス・ドイツ両国の争いのなかで翻弄(ほんろう)された。1870年のプロイセン・フランス戦争では戦場となり、戦後ドイツ領に併合された。第一次世界大戦後、戦勝国フランスはこの地を取り戻したが、第二次世界大戦中にふたたびドイツの占領下に置かれ、そして戦後、戦勝国フランスが奪い返して現在に至っている。
[本池 立]