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アウクスブルク信仰告白 アウクスブルクしんこうこくはくConfessio Augustana[ラテン]

世界大百科事典 第2版の解説

アウクスブルクしんこうこくはく【アウクスブルク信仰告白 Confessio Augustana[ラテン]】

ルターの協力者メランヒトンが起草し,カトリック諸侯の承認を求めて,1530年6月25日,アウクスブルクの帝国議会で読み上げられた,プロテスタント最初の信仰個条。宗教改革の根本教義は維持しつつも,できるだけ穏やかな表現を用いているが,カトリック側はこれを退けた。40年に若干の改訂を経てのち,55年アウクスブルクの宗教和議の土台となる。【成瀬 治】

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世界大百科事典内のアウクスブルク信仰告白の言及

【宗教改革】より

…その後,ルター派を旧教会に引き戻そうとするすべての努力にもかかわらず,いったん根をおろした領邦教会体制を覆すことはもはやできなかった。切迫するカトリック勢力との政治的対決を何とか回避すべく,メランヒトンはつとめて温和な表現をとった福音主義の信仰箇条を作成し,30年のアウクスブルク帝国議会に提出したが(〈アウクスブルク信仰告白〉),カトリック諸侯はこれを退けたので,ルター派の諸侯と帝国都市はシュマルカルデン同盟に結集し,対決に備えた。
[スイスの宗教改革]
 これより先,1522年以来,エラスムスとルターの影響下に,ツウィングリがスイスのチューリヒで市政府と提携しつつ宗教改革運動を展開し,この運動はバーゼル,ベルンなどにも広がっていた。…

【ルター】より

…教会巡察はメランヒトンなどによる各地の教会規則制定に至るが,ルターは29年に大小二つの教理問答書(《ルター大小教理問答》)を著して,民衆の信仰教育を心がけた。その年プロテスタントの政治的結集を求める諸侯の願いでもたれたチューリヒのツウィングリとの神学会談は,聖餐論において一致に至らなかったが,30年アウクスブルク国会には,いくつかのルターの信仰告白を基とした,メランヒトン起草の〈アウクスブルク信仰告白〉が提出され,これによってルター派教会がしだいに西欧各地に形成されていく。ルター自身も37年には〈シュマルカルデン条項〉によって重ねてみずからの信仰的立場を明らかにした。…

※「アウクスブルク信仰告白」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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