改訂新版 世界大百科事典 の解説
アウクスブルクの宗教和議 (アウクスブルクのしゅうきょうわぎ)
Augsburger Religionsfriede
1555年9月29日,アウクスブルクの帝国議会で,カトリックとルター主義の両宗派間に結ばれた,宗教平和の取決め。時の神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)は,ドイツにおける宗教改革運動を,カトリックの立場から抑圧しようとつとめたが失敗。結局,ドイツ問題の処理をゆだねられたカールの弟フェルディナント(のち神聖ローマ皇帝,1世)の主宰するこの帝国議会で,〈アウクスブルク信仰告白〉を奉ずるルター主義者に,カトリックと同等の権利が承認された。しかし,これは一種の政治的妥協であり,ドイツ国民一般に信教の自由を保障したものではない。カルバン派など,ルター派以外のプロテスタントがこの取決めから排除されたほか,宗教上の決定権はもっぱら帝国諸侯と帝国都市当局が握り,諸侯領においては,住民はその領主の奉ずる宗旨に従わねばならなかった。また,教会諸侯が将来ルター主義に改宗する際には,その聖職と領土を放棄せねばならぬという留保条件がつけられたが,この規定は必ずしも守られなかった。いずれにせよ,この宗教和議によって,ドイツの宗教上の一体性は最終的に失われ,中世後期いらい発展してきた帝国諸侯の領邦支配権が,各領域内の教会に対する統制権と結びつくことによって,いっそう強化される結果となった。
執筆者:成瀬 治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報