ラテン語の動詞exprimoに由来し、その原義は「ジュースなどを絞り出す」ことである(この原義は現在も「エスプレッソ」というイタリア風コーヒーの呼び名のなかに生きている)。4世紀には言語、絵画、音楽などに適用されていたが、美学と心理学における重要な概念となったのは18世紀以後のことである。いくつかの用語法があり、一義的に定義することはむずかしいので、歴史を下りつつこれらの用語法に即して説明することにする。
[佐々木健一]
まず表現の主体について区別しなくてはならない。文や作品が表現するのか、作者が表現するのか、という区別である。表現を人間の行為の一つ(あるいはすべての行為の一側面)とみる第二の概念は、われわれにはなじみ深いものであるがより新しいもので、当初17世紀後半、マルブランシュやライプニッツが用いたとき、この語はもっぱら第一の記号論的な意味のものであった。たとえば「結果は原因を表現する」というような言い方である。この「表現」は「しるし」にほぼ等しく、現代でもソシュールの「シニフィアン」signifiantに相当するものを表現とよぶイェルムスレゥの用語法のなかに生きている。
[佐々木健一]
人の行為としての表現という考えは、18世紀末の芸術論のなかに確認できる。ことばを思想の表現とするのは伝統的な考えであり、17世紀の美術論において表現とは情念の表れとしての「表情」のことである。情緒を中心とする当時の音楽美学の動向から、音楽の表情という考えが生まれたのは当然である。これらの「表現」はどれも芸術家が引き受けるべき仕事であり、ここに「芸術家が表現する」という概念が生まれてくる。その初期の用例が18世紀末のズルツァーに認められる。19世紀以後、芸術家の人格と結び付いたその表現概念が標準となる。
[佐々木健一]
芸術の本質を自然模倣に求める伝統的な理論を、詩と絵画、さらには音楽にも適用したとき、デュ・ボスJean Baptiste Du Bos(1670―1742)は、描写的(模倣的)なものと感情表現にかかわるものとの間に対立のあることを認識していた。この対比は18世紀を貫く詩画論の主要論点となり、とくに18世紀後半のイギリスとドイツの美学では模倣論を突き崩す要因となる。芸術の重点が外形を写し取ることから、精神的価値を伝えることへと移される。またこの対比はウィンケルマンにおいて「(模倣に基づく)美か表現か」という問題を提起し、ここでの表現は、均衡よりも特性的なものを重んずるロマン派的な概念となっている。この表現概念の一つの到達点が、感情的生の直接的発露を求めた20世紀初頭の表現主義にある。
[佐々木健一]
「外へ押し出すこと」としての表現は、「内に押し付けること」impressionとしての印象と対(つい)をなす。受身の印象の世界を転じて能動的な表現の世界としたものが文化である、というカッシーラーの考えのもとには、ディルタイによる精神科学の基礎づけがある。体験・表現・理解を関連づけた彼は、体験のなかには表現への動きが含まれており、表現は生の客観化であるとする。ここで表現というのは、体験についての反省とは異なり、無意識的なものを含んでおり、それを理解するには特別な方法が必要となる。その方法としてディルタイのたてたのが解釈学である。かくして表現は、人の行為でありその結果でありながら、彼の意図を超えて無意識の世界に根を張っているために、意味をうちにはらんだ記号的性格を取り戻す。
[佐々木健一]
ディルタイの思想は精神史学や文化史学、様式を中心概念とする芸術学の基礎となり、今日に続く解釈学の潮流をおこした。同じく生の哲学とよばれる流派のなかで、クローチェは直観と表現を等置して「言語学としての美学」を唱え、18世紀以来の表情の研究の伝統を継いでクラーゲスは「表現学」を体系化した。またアドルノは、精神分析の考えを導入することによってマルクス主義の決定論を乗り越え、もっとも主観的なものが客観性に媒介されて経験されたものとして表現をとらえている。
[佐々木健一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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