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アメリカズカップ America's Cup

翻訳|America's Cup

知恵蔵の解説

アメリカズカップ

世界最高峰の国際ヨットレース。1851年にロンドン万国博覧会の記念行事として開催された英国ワイト島1周ヨットレースで、アメリカチームが優勝したことを契機に始まった。この英国ワイト島1周ヨットレースの優勝杯である「100ポンド杯 (後の100ギニー杯。ギニーは賞金などを表す際に使われる通貨単位)」は、地元のニューヨーク・ヨットクラブに寄付され、その際、今後この優勝杯をかけて国際的な友好ヨットレースを行うことと文書に記された。これがアメリカ杯の始まりである。
1870年にアメリカ杯を巡る最初のレースが17艇による一斉スタートで行われた。その後も複数艇による競争として不定期に開催され、第2次世界大戦後の1958年の大会以後は、3年から4年に1回開催されている。また70年からは、予選を勝ち抜いた挑戦艇と前回優勝艇との一騎打ちで争う形式となった。
83年からは、フランスのマルティエ(スーツケース職人)であったルイ・ヴィトンが予選シリーズの支援を申し出て、「ルイ・ヴィトン・アメリカズカップ・ワールドシリーズ(WS)」がスタートした。参加艇は約2年にわたりワールドシリーズを戦い、その後、参加6チームが総当たりのマッチレースを2回行って前回優勝チーム以外の最下位チームが脱落する「クオリファイヤーズ」とトーナメント方式の「プレーオフ」の2大会を経て、挑戦艇が選出される。
優勝杯は、1851年に英国から持ち帰って以降、132年間にわたって米国艇が保持し続けたが、83年に豪州艇が歴史的な初優勝を収めた。95年にはニュージーランドの艇が優勝し、次の予選でイタリアが挑戦艇となったため、2000年はアメリカ杯初の米国不在の対戦となった。
第35回アメリカ杯は、17年6月に英領バミューダで開催された。防衛艇は13年の優勝艇「オラクル・チームUSA」。
日本からは「ソフトバンク・チーム・ジャパン」が出場。チームを率いる早福和彦総監督は、1998年と2000年に「ニッポンチャレンジ」の一員としてアメリカ杯に参戦。日本勢の参戦が途絶えた後も、海外で競技を続け、15年に日本チーム総監督に就任した。レース戦略を組み立てる重要な役割を担うスキッパー(艇長)は、世界的な名スキッパーのディーン・バーカー。バーカーは、00年の第30回大会で、母国のニュージーランド艇のかじ取りを任され、挑戦艇のイタリア艇に快勝し、史上最年少の26歳で優勝スキッパーになった。
日本チームは、16年11月に福岡県福岡市の地行浜(じぎょうはま)で行われたワールドシリーズの最終戦(アジア初開催)において6チーム中5位となり、総合5位でクオリファイヤーズに駒を進めた。その後、17年5月27日から英領バミューダで行われたクオリファイヤーズを5位で通過し、6月のプレーオフに挑んだが、5戦先勝の準決勝でアルテミス・レーシング(スウェーデン)を相手に通算3勝5敗で敗退した。日本チームとしては17年ぶりのアメリカ杯挑戦で、初の決勝進出に届かなかった。
プレーオフ決勝は6月10日からエミレーツ(ニュージーランド)とアルテミス・レーシングが対戦し、5勝2敗でエミレーツがオラクル・チームUSAへの挑戦権を獲得した。アメリカ杯本選は6月17日から開幕。1勝を1点とする7点先取制で、17年6月26日、エミレーツが7対1でアメリカ杯を獲得した。

(葛西奈津子 フリーランスライター/2017年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

大辞林 第三版の解説

アメリカズカップ【America's Cup】

米国杯ヨット-レース。世界最大規模の外洋航海ヨット-レース。1870年から行われ、ほぼ四年に一回開催される。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

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