改訂新版 世界大百科事典 「パンディタハンボラマ」の意味・わかりやすい解説
パンディタ・ハンボラマ
Pandita mkhan po bla ma
ザバイカル地方のブリヤート族(今のロシア連邦のブリヤート共和国に居住)におけるラマ教主。ブリヤート族の間にラマ教が伝来したのは18世紀初めのことであるが,その普及の勢いはめざましく,約半世紀後にはザバイカル地方全域に及んだ。このため帝政ロシア政府はラマ教界を統制するため,1764年にラマ僧ザヤーエフをザバイカル地方のラマ教徒の首長に任命し,パンディタ・ハンボラマの称号を与えた。これより歴代のパンディタ・ハンボラマは帝政ロシア政府により(19世紀中葉からはロシア皇帝により)任命されて就任し,20世紀初めまでに8代を数えた。その権限は,1853年の〈東シベリアラマ僧団規定〉によって強化されたが,それによれば,ザバイカル地方の34ヵ寺の座主の筆頭に立ち,座主の任命,ラマ僧の監督を行うことなどであった。今日でもパンディタ・ハンボラマは現存するが,もはや名のみの存在にすぎない。
執筆者:若松 寛
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報