若松(読み)わかまつ

  • 会津若松市の旧称
  • 北九州市の区
  • 姓氏

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長崎県西端,五島列島北部新上五島町の旧町域。若松島,日ノ島,有福島,生浦島(りょうぜがうらしま)および中通島の一部を含む地域。1956年若村と日島村が合体して町制。2004年8月若松町,上五島町,新魚目町,有川町,奈良尾町の 5町が合体し新上五島町となった。島嶼の多くは丘陵性の山地で,耕地が乏しく,沿岸漁業を主産業とする。イワシの小型揚繰網(あぐりあみ)漁が盛んであったが,1955年以降はハマチ,タイ,真珠の養殖が発達。ほかに一本釣り,延縄定置網漁業がある。若松瀬戸に面する桐,有福島には天主堂があり,隠れキリシタン風習が残っている。入江と多島海の典型的なリアス海岸の景勝地であり,大部分が西海国立公園に属している。南部海域は若松海域公園地区。国道384号線が通じる。

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デジタル大辞泉の解説

松の若木。
正月の飾りに使う小松。
松の若葉。松の新芽。 春》
襲(かさね)の色目の名。表は萌葱(もえぎ)、裏は。まつがさね。若緑
北九州市北西部の名。響灘洞海湾に面し、工業地。もと若松市筑豊炭田石炭積み出し港として栄えた。

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百科事典マイペディアの解説

陸奥国会津藩城下町。現在の福島県会津若松市の中心部で,中世以来会津地方の政治・経済・文化の中心。中世会津地方を領した蘆名氏は湯川(古くは黒川といった)右岸の地に居城黒川城を築き,戦国期には城下に町場も形成された。蘆名氏は1589年伊達政宗に追われる。1590年政宗に替わって会津に入った蒲生氏郷は城の改修,城下町の整備を行い,1592年城を鶴ヶ城,城下を若松と改める。この氏郷による整備が近世城下町若松の基礎となった。その後会津地は上杉氏・蒲生氏(再封)・加藤氏が領有。1643年に保科正之が入部して以降は会津藩保科氏(のち松平氏)23万石の城下町として幕末に至る。1665年の城下町数は五十余町(《会津若松史》)。大町・馬場町・新町・後町が中心で,四町とよばれた。藩領内を貫通する白河・二本松街道,下野街道,越後街道,米沢街道は大町札之辻(ふだのつじ)が基点。領主の保護奨励策によって酒造・漆器・鍛冶・繊維などの産業が発達。蘆名氏以来と伝える正月10日の大町の初市は周辺諸村からも人々が集まり,総町をあげて賑わった。1868年会津戦争の戦禍で壊滅的打撃を被るが,明治10年代頃から回復。1889年の市制・町村制施行で若松町となり,1899年市制施行。同年岩越(がんえつ)鉄道(現JR磐越西線)が延長され若松駅が開業。1908年歩兵連隊が設置され軍都若松が誕生。1917年若松駅は九州の若松(現,福岡県北九州市)と区別するため会津若松駅と改め,1955年市名も会津若松市と改称

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世界大百科事典 第2版の解説

陸奥国会津郡の城下町。現在の福島県会津若松市の中心部。1189年(文治5)源頼朝の奥州攻めの勝利によって会津に所領を与えられた三浦一党の佐原氏は,のち蘆名氏を名のり,14世紀,直盛のとき小高木(現在の若松城跡)に館を造り,東黒川館と称し住したという。黒川を拠点に中世会津を支配した蘆名氏は,1589年(天正17)伊達政宗に滅ぼされ,政宗もまた1年余で米沢へ去った。 90年,豊臣秀吉から会津の地を与えられ黒川へ入った蒲生氏郷(がもううじさと)は,郷里近江国蒲生郡の若松の森にちなんで,黒川を若松と改めた。
福岡県北部,北九州市の区名。1914年市制施行の若松市が,63年小倉など4市と合体して北九州市となった際に区制を施行。人口9万1755(1995)。若松半島のほぼ全域を占め,東半の中生層の山地と西半の低い丘陵地からなる。市街地は東端の洞海旧湾口に発達している。近世には福岡藩米蔵焚石会所などが設けられ,遠賀川堀川運河~洞海湾のルートで結ばれて,米や石炭が積み出されていたが,明治前期までは小集落にすなかった。

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大辞林 第三版の解説

芽生えてから、あまり年月を経ていない松。
正月の飾りにする小松。
松の新芽。若緑。 [季] 春。
かさねの色目の名。表は萌黄もえぎ色、裏は紫。若緑。
福岡県北九州市北部の区。もと若松市。筑豊炭田の石炭積み出し港として発展した。
福島県会津若松市の旧称。
姓氏の一。

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精選版 日本国語大辞典の解説

[1] 〘名〙
① 樹齢の若い松。また、生えて間もない松。⇔老松(おいまつ)
※万葉(8C後)一四・三四九五「巖(いはほ)ろのそひの和可麻都(ワカマツ)限りとや君が来まさぬ心(うら)もとなくも」
② 新年の飾りの小松。また、門松。《・新年》
※虎明本狂言・松楪(室町末‐近世初)「たみもとくわか松もろともに、千世かけて、千世かけて、さかふる御代こそめでたけれ」
③ 松の若葉。松の新芽。《季・春》
④ 白紙を刻んで作った松葉状の花。葬礼の時に用いるもの。
※雑俳・柳多留‐二一(1786)「若枩を紙でこさへる気のどくさ」
⑤ 襲(かさね)の色目の名。表は萌葱(もえぎ)で裏は紫のもの。若緑。→松襲(まつがさね)
[2]
[一] 福島県会津若松市の旧称。昭和三〇年(一九五五)現在名に改称。
[二] 明治二年(一八六九)岩代国に置かれた県。同九年福島県に合併。
[三] 福岡県北九州市の行政区の一つ。洞海湾を隔てて戸畑区と対し、若松半島の大部分を占める。筑豊炭田の開発とともに石炭積出港として発展。洞海湾(どうかいわん)沿い、響灘(ひびきなだ)の埋立地には工場が多く、北九州工業地帯に含まれる。大正三年(一九一四)市制。昭和三八年(一九六三)門司・小倉・戸畑・八幡の四市と合併して北九州市の一区となる。北西部の若松北海岸は玄海国定公園の一部。
姓氏の一つ。

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世界大百科事典内の若松の言及

【会津藩】より

…陸奥国若松に藩庁をおいた藩。1589年(天正17)中世会津を支配した蘆名氏を破り,この地を領した伊達氏はまもなく去り,90年蒲生氏郷が90万石の領主として黒川の地に入った。…

【会津若松[市]】より

…福島県会津地方北東部にある市。1899年北会津郡若松町が県内最初の市制を施行,若松市となり,1955年会津若松市と改称,同時に北会津郡の大部分を占める湊ほか6村を編入した。人口11万9640(1995)。…

【遠賀川】より

…18世紀に入ると流域農村で石炭やハゼ蠟の生産が進んだので,それらの輸送が盛んとなった。1762年(宝暦12)の堀川の完成によって,冬の季節風をまともに受ける芦屋をさけ,直接に洞海湾内の若松への艜の航行が可能になったので,以後,商品の多くは若松に送られるようになった。幕末には年間,延べ2万艘の艜が上下し,約8万tの米,石炭を積み下ろしたと推定される。…

【洞海湾】より

…福岡県北東部,北九州市の若松,戸畑,八幡東,八幡西4区に囲まれた湾。石峰・皿倉両山塊間の地溝が入海となったもので,東西に細長く,湾奥まで約8kmある。…

※「若松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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