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【歴史】
[中世セルビア王国の建国]
7世紀初頭にバルカン西部に南下・定住した南スラブ系のセルビア人は,当初,族長(ジュパンžupan)に率いられた諸部族に分かれ対立・抗争を続けていた。その領域はラシュカRaška(現在のセルビア南西部),ゼータZeta(モンテネグロ),フムHum(ヘルツェゴビナ)に及んだ。8世紀から12世紀にかけて,セルビア人の南部地域は隣接するブルガリア王国やビザンティン帝国の強い影響を受け,その支配下に入った。…
… 一時ハンガリー王国の支配下に置かれたボスニアは,14世紀に入るとコトロマニッチKotromanić(在位1322‐53)が統治者に選出された。彼は南部のフムHum(のちにヘルツェゴビナと呼ばれる)をも支配下に置き,ボスニアとヘルツェゴビナ統一の基礎を作った。彼の後継者トブルトコTvrtko(在位1353‐91)はさらに自らの領土を拡大し,衰退しつつあった隣接のセルビア王国に代わり,バルカン最強の国家となった。…
※「ふむ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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