雑芸の一種で,1人で8人分の芸を見せるという江戸時代の曲芸。〈八人座頭(ざとう)〉ともいう。《守貞漫稿》には〈八人座頭〉として〈万沖中駿州阿部川辺座頭,名は酒楽と云もの江戸に来り(中略)紙帳中に一身八色の鳴器を合奏す〉とあり,おもに座頭が1人で数種の楽器を演奏し,それを複数の人の合奏と感じさせるものであった。これには姿を見せて演じるものと,姿を隠して演じるものとがあった。見世物小屋や寄席の人気芸とされ,十二人芸,十五人芸,十八人芸などに発展したが,明治に入って衰退した。延宝・天和(1673-84)ころの花楽,明和(1764-72)ころの玄水などが知られる。文化・文政期(1804-30)には江戸の寄席で1人で数人の声色(こわいろ)を使う芸があり,これも八人芸と称した。歌舞伎の下座(げざ)音楽では太鼓,鉦(かね),篠笛(しのぶえ),銅鑼などを用いるにぎやかな鳴物に八人芸の名称が残る。現代のチンドン屋はこの芸の一種であろう。
執筆者:山路 興造
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寄席(よせ)演芸の一種。1人で8種類の楽器を合奏したり歌ったりする芸。声色(こわいろ)も演じた。演者の多くは座頭(ざとう)で、八人座頭ともいった。のちに十二人芸、十五人芸、十八人芸も生まれた。万治(まんじ)(1658~61)の酒楽が創始者で、花落、玄水を経て天明(てんめい)(1781~89)のころ川島歌命(かめい)が出た。その門下の歌遊は名人といわれ、同系統の歌暁、歌柳、柳枝らは川島流として知られた。ほかには観楽、花房夫山(はなぶさふざん)が有名であり、牛島登山(うしじまとざん)は牛島流八人芸といわれた。幕末から明治にかけて豊島寿鶴斎(じゅかくさい)、西国坊明楽(さいこくぼうめいらく)が東西で活躍した。
[関山和夫]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…それを百面相というが,今日では,まったく衰退してしまい,ときどき噺家が落語のあとに余興として演ずることがある程度となった。〈八人芸(はちにんげい)〉というものもあった。これは一人で8人前の芸をするということから出た名称であるが,のちには十二人芸,十五人芸,十八人芸もあらわれた。…
※「八人芸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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