ムラヴィヨーフ(読み)Murav’ie¨v‐Amurskii, Nikolai Nikolaevich

朝日日本歴史人物事典 「ムラヴィヨーフ」の解説

ムラヴィヨーフ

没年:露暦1881.11.18(1881.11.30)
生年:露暦1809.8.11(1809.8.23)
ロシアの軍人,政治家。1847年から1861年にかけてイルクーツクおよびエニセイ県知事兼東シベリア総督。1858年清国と愛琿条約を締結し,アムール川の航行権を獲得するとともに,この川をもって露清両国の国境とした功績によって伯爵に叙され,アムールスキーの称号を授けられた。安政6(1859)年軍艦6隻を率いて品川沖に来航し,サハリンをロシア領と認めるよう江戸幕府にせまったが,これは成功しなかった。1861年退役し,国家評議会議員を務めたあと,パリで暮らし,この地で死亡した。1991年,遺言にしたがってウラジオストクに墓が建設され,パリからこの地に遺骨が移された。

(外川継男)

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367日誕生日大事典 「ムラヴィヨーフ」の解説

ムラヴィヨーフ

生年月日:1792年10月21日
ロシアの軍人,デカブリスト(十二月党員)の一人
1863年没

ムラヴィヨーフ

生年月日:1796年7月30日
ロシアの軍人,近衛大尉,デカブリスト
1843年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報