ラストレリ(英語表記)Bartolommeo Francesco Rastrelli

改訂新版 世界大百科事典 「ラストレリ」の意味・わかりやすい解説

ラストレリ
Bartolommeo Francesco Rastrelli
生没年:1700ころ-71

ロシアで活躍したイタリア人建築家。ロシア名Varfolomei Varfolomeevich Rastrelli。ロシア・バロックのもっとも代表的な作家に数えられる。おそらくパリに生まれ,1715年に父カルロ・バルトロメオとともにペテルブルグに渡る。西欧諸国で学んだ後,30年再びロシアに赴き,ピョートル大帝の下で建設活動に携わる。大帝の死後,女帝アンナ・イワノブナ,エリザベータ・ペトロブナに仕え,ペテルブルグ郊外の離宮貴族の城館などを手がけた。西欧化政策の下でイタリアやフランスの建築を範とした大規模な建築が彼によって生み出され,後のロシア人建築家たちに強い影響を与えた。代表作に,ペテルブルグ郊外のペテルゴーフ宮殿(現,ペトロドボレツ宮殿)の増築(1745-53),エカチェリナ宮殿(1748-56),市内のストロガノフの邸館(1752-54),冬宮(1754-64),キエフのアンドレーエフスキー教会(1753)などがある。とりわけ,冬宮の建設は18世紀半ばのロシアにおいて最大の造営事業であった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のラストレリの言及

【キエフ】より

…さらにペチェルスカヤ大修道院のウスペンスキー大聖堂(1075‐89),ズラトベルキー修道院のミハイロススキー主聖堂(1108)など多くの教会堂が建設されたが,いずれも原状をとどめていない。近世の代表的建築では,建築家ラストレリ(1700ころ‐71)によるアンドレーエフスキー教会(1753)がある。また,市内の東西美術館は,6~7世紀の初期のイコンの所蔵で知られる。…

【サンクト・ペテルブルグ】より

…君主の居所である冬宮は,その時々の君主の意志によって5回も作り直されたが,いずれも時代の様式を反映している。第4,第5(木造),第6の冬宮を手がけたB.F.ラストレリは,女帝アンナ・イワノブナのためにはドイツ風のバロックの建物を,フランス趣味の女帝エリザベータ・ペトロブナのためにはロココ様式を選んだ。 18世紀中葉の建築はラストレリ風の豪華絢爛で壮大な様式美が際立っており,左岸のストロガノフ宮殿,ボロンツォフ宮殿がその代表である。…

※「ラストレリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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