古くは天皇の出遊のために宮都以外に設けられた宮殿をいう。外宮(とつみや)。〈りぐう〉ともよむ。行宮(あんぐう)が臨時の施設であるのに対し,恒久的施設である点が異なる。
史上著名な離宮に,古代の吉野宮,珍努(ちぬ)宮の両離宮,中世の鳥羽離宮,近世の修学院(しゆがくいん)離宮などがある。吉野宮は《日本書紀》の応神紀に初めてみえ,壬申の乱前の大海人(おおあま)皇子(後の天武天皇)隠棲の地として,特に天武系皇統の行幸がしばしばあった。珍努宮はその維持管理のため,716年(霊亀2)河内国和泉など3郡を割いて和泉監(げん)という特別行政区を設けた。このころ吉野宮のためにも芳野監を設けているが,両離宮とも律令制の衰退とともに廃絶したらしい。1086年(応徳3)白河天皇によって造営が開始された鳥羽殿は,〈城南(せいなん)の離宮〉〈鳥羽の離宮〉といわれ,広大な地域に多くの殿舎が建てられたが,南北朝時代の兵火で退転した。修学院離宮は後水尾上皇の造営で,1655年(明暦1)の選地以下,一木一草に至るまで同上皇の指示によると伝え,59年(万治2)にほぼ完成してより,しばしば御幸があった。1884年(明治17)に景観保存のために修学院離宮として宮内省所管となる。同様の理由で離宮と定められたものに桂離宮がある。豊臣秀吉の猶子となった正親町天皇の皇孫八条宮智仁(としひと)親王が京都の西南郊に営んだ別荘で,その後,宮号が桂宮となり,1881年第12代淑子(すみこ)内親王没後,後嗣がなかったため,84年に宮内省の所管となり,桂離宮を称するにいたった。
修学院・桂両離宮のほか,明治時代以後に定められた離宮に,浜,赤坂,芝,二条,函根,名古屋,青山,霞関,武庫,伊勢の各離宮がある。これらは,宮城外に設けられたものは都内にあっても〈離宮〉と称すること,天皇の保養のためには別に〈御用邸〉が各地に設けられたため,離宮は保養のほかに公的行事たとえば国賓の宿泊・接待も行いうるものであったことが,明治以前と異なる点である。1870年に元徳川家の苑地であった東京芝の浜殿を宮内省所管とし,浜離宮(浜離宮庭園)と称したのが最も早い。同離宮には延遼館という西洋風建物があり,外賓の宿泊・接待に当てられたが,1945年東京都に下付された。1872年元紀伊徳川家の東京赤坂邸をもって赤坂離宮とし,翌年の皇居炎上より17年間,仮皇居となった。新皇居の落成後は東宮(後の大正天皇)御所となり,その後,御所を洋風建築に改め,1909年に竣工した。第2次大戦後皇室の手を離れ現在は迎賓館となった。その他の各離宮にもそれぞれ変遷があり,所在の市や県に下付され,あるいは日本国憲法の施行によって国の所管となって離宮の称はなくなり,現在宮内庁所管の離宮は桂・修学院両離宮のみである。
執筆者:今江 広道
西洋においても首都の王宮以外に設けられた宮殿を離宮と呼ぶ。古代エジプトでは,ナイル川河畔に離宮を設ける慣例があったようで,第18王朝のアマルナの北王宮などがそれに該当する。古代メソポタミアでも,暑熱のはげしい首都の王宮のほかに,涼しい山間に林庭のある離宮を設けた。古代ギリシアでは,王宮そのものが少ないので離宮にもめぼしいものがないが,古代ローマでは,都市邸宅のほかにウィラ(田舎屋敷あるいは別邸)をもつことが慣習化していたので,皇帝たちも好んで離宮を構えた。ティベリウス帝のカプリ島の離宮(1世紀),ネロ帝のローマのドムス・アウレア(黄金宮。1世紀),ハドリアヌス帝のティボリのウィラ(2世紀初期),マクシミアヌス帝のシチリア島のピアッツァ・アルメリーナの離宮(4世紀初期)はとくに著名で,多数の室やテラスや中庭を複雑に組み合わせた巧妙な建築計画を示している。中世の王侯貴族は離宮と名づけられるような宮殿はもたなかったが,比較的住みやすい城郭や〈狩の館〉を離宮・別邸として用いていた。
ルネサンス時代の教皇,国王,大貴族は離宮・別邸を営むことを好み,避暑・避寒や接待・会合に用いた。ローマのビラ・ジュリア(現在ビラ・ジュリア美術館。1550-55),ビラ・マダマ(16世紀前期),マントバのゴンツァーガ家の別荘パラッツォ・デル・テ(1525-35)などはその著名な例である。フランスのフォンテンブロー宮殿(16~17世紀)やイギリスのハンプトン・コート(16世紀前半-1694)ものちに離宮として用いられた。18世紀は各国で離宮建設が盛んで,ポツダムのサンスーシ宮殿(1745-47),ペテルブルグの夏宮殿(1741以降)と冬宮殿(1754以降),イタリア,カゼルタCasertaの離宮(1752-74)などが建てられた。イギリス,ブライトンの離宮〈ローヤル・パビリオンRoyal Pavillion〉(1815-23)は,19世紀初頭の異国趣味を反映して〈インド・イスラム式〉と称する特異な形態で知られる。バイエルン国王ルートウィヒ2世が建てたノイシュワンシュタインNeuschwanstein城(1870年代)は,王の狂気の所産とはいえ,都市的日常性を離れた環境を楽しむ場所としての離宮の性格を十分に備えている。
→ウィラ →宮殿
執筆者:桐敷 真次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
皇居以外に設けられた皇室の宮殿の総称。主として天皇・上皇たちの遊興を目的に造られた半ば恒久的な施設。早くには吉野宮が知られるが、注目されるのは平安時代になってからである。天皇の別業(べつぎょう)(別荘)の初例となった嵯峨天皇の嵯峨院、淳和天皇(じゅんなてんのう)の紫野院(むらさきのいん)(のちの雲林院(うりんいん))などは平安京から至近のところにあったが、すこし離れたものとしては山崎(やまさき)の河陽宮(かやのみや)などがある。これらはいずれも平安初期の離宮であるが、平安後期つまり院政期に入ると広大な敷地を占め、多くの居住者を呼び込む院御所(いんのごしょ)が登場する。白河天皇が譲位を控えて洛南の地に後院(ごいん)として造営した鳥羽離宮はその最たるものである。時代が下ると桂離宮、修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)が知られ、そのほか江戸藩邸から転じた赤坂離宮・浜離宮・芝離宮などがある。
[朧谷 寿]
『杉山信三著『院家建築の研究』(1981・吉川弘文館)』
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