日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラージパト・ラーイ」の意味・わかりやすい解説
ラージパト・ラーイ
らーじぱとらーい
Lālā Lājpat Rāi
(1865―1928)
パンジャーブ出身のインドの政治家。教師、弁護士として活動、アーリア協会の宗教・社会改革運動にも参加した。1888年から国民会議派指導の民族運動に加わり、1905~1908年のベンガル分割反対闘争でティラクやパールらと民族派の主要な指導者として活動した。1913~1920年は国外に滞在し、広い視野でインドの独立闘争を観察し、かつその間、在外インド人急進活動家グループの「ガダル党」とも接触した。ガンディー指導の非暴力抵抗(サティヤーグラハ)闘争に加わり、とくに1927~1928年のサイモン委員会ボイコット運動ではその先頭にたったが、1928年警官の警棒攻撃に倒れて死亡。著書には『若きインド』『不幸なるインド』などがある。
[内藤雅雄]