翻訳|religion
1970年代のことであるが,月面に立ったアメリカの宇宙飛行士12人のうち3人までが,地球に帰還したのち宗教的な仕事に就いた。神にふれた経験を語り,心霊科学に関心を寄せるようになったのである。彼らはおそらく原始人類がこの地球上で感じたであろう恐怖と神秘とを,宇宙空間で体験したにちがいない。ところで,第2次世界大戦期におけるナチズムによるユダヤ人迫害はよく知られているが,強制収容所での組織的集団虐殺は1940年からの5年間に600万人に達したという。その人種差別の根底にユダヤ教徒に対するキリスト教徒の狂気と偏見が存したことはいうまでもない。同じように,1947年にインドとパキスタンがイギリスの支配から脱して分離独立をはたしたとき,イスラム教徒とヒンドゥー教徒は互いに殺し合い,その死者の数は短期間のうちに60万人にも達した。同一民族内における苛烈な宗教戦争が戦われたのである。現代から時代を約2500年さかのぼらせてみよう。われわれは,インドのガンガー(ガンジス川)の流域で仏陀が涅槃(ねはん)を説き,中国では老子が道を,孔子が仁を説いていたことを知らされるであろう。そしてそれから約500年ののち,地中海縁辺のイスラエルにイエスが出現して神の愛を説き,キリスト教の礎を築いた。ときはまさにヤスパースのいう〈軸の時代〉で,それらはアジアにおいて大きな発展をみる仏教,道教,儒教,および地中海世界におけるキリスト教の発生を告げる象徴的なできごとであった。
以上述べたいくつかの事柄によってみても,宗教が現代の科学技術の先端に突然立ちあらわれることがあると同時に,政治や国家,人種や民族の動向とも分かちがたく結びついているということがわかるであろう。のみならず宗教は狂気や暴力の源泉となることがあるとともに,古代の聖人や賢人によって説かれたように時代を超える永遠の真理が指し示され,同時に彼ら宗教的天才たちに由来するさまざまな宗教組織や教義・儀礼体系が歴史的に形成されてきたことが理解されよう。このように宗教は,人間存在の不安や恐怖を問題にするときはほとんど生物学的時間のなかで検討の対象にされなければならないが,ひとたび思想や信念,祭祀や儀礼をその射程に入れるときは,歴史学的時間の枠組みのなかで論じられることになるのである。
第2に考えなければならないのは,宗教が社会や生活の前面に表れている場合と,むしろ社会や生活の背後に退いて目にふれにくい構造となっている場合の二つがあるということである。宗教の顕在と潜在という問題といっていいであろう。これを歴史的にいえば,一般に古代から中世にかけての時代は宗教が社会の各領域に色濃くかつ全面的に滲出したのに対し,近世から近代にかけての時代は,その機能は複雑化し政治・経済組織のなかにしだいに吸収され融解していく傾向を示したということである。またこれを共時的な観点からみると,低文明社会では宗教は生活や儀礼の諸局面においてつねに主役を演じているのに対して,高文明社会では生活の周縁に配置される心意的な装飾もしくは象徴として脇役の地位に退いているということである。その結果,進化論的な見方によれば,宗教は迷信もしくは呪術の発達した形式であるとともに,哲学ないし科学によって取って代わられる思考様式であると考えられた。そしてその立場をさらに徹底させたK.マルクスは,人類の未来には宗教が死滅する段階がくることを予想した。一方,これに対しS.フロイトは,宗教現象のいっさいは無意識に潜む性愛エネルギー(リビドー)によって説明されるとして宗教の聖性を相対化ないし否定した。進化論やマルクスおよびフロイトのような見方は,宗教の本質や性格を鋭く洞察した面をもち,今日なお大きな影響力をもっているが,いずれも宗教の機能と意味を狭く限定したものであって,それらの見方はなお一面的な弊を免れてはいない。
歴史的に形成された世界の諸宗教は,これまでいろいろな基準にもとづいて分類され定義されてきた。まず第1に,特定の地域や民族に根ざした宗教としてゾロアスター教,古代ユダヤ教,ヒンドゥー教,道教,神道などをあげ,それに対して地域や民族の違いを超えてひろがった宗教として仏教,キリスト教,イスラム教などをあげる見方があった。この場合,地域や民族に根ざした前者を民族宗教,それらを超える後者を世界宗教と呼ぶのが一般的であったが,このような二分法は,多神教および汎神教と一神教,原始宗教および部族宗教と高等宗教といった枠組みで諸宗教を分類する方法とも共通していた。しかしこのような諸宗教に関する二分法的な類型化には,〈キリスト教〉対〈非キリスト教〉あるいは〈文明の宗教〉対〈未開の宗教〉といった対立の観念が前提とされており,西欧中心の価値観が横たわっていたことも否定できない。
これに対して第2に,さまざまな宗教における開祖の人格や思想,および教義や儀礼や制度を相互に比較し,それによってそれぞれの宗教にみられる共通性と特異性を明らかにしようとする比較宗教学的な試みがF.M.ミュラーによって創始された。それ以後,世界の諸宗教を比較の視点から客観的に記述し類型化する気運が生ずるようになったが,この方面で最大の成果をもたらしたのがM.ウェーバーである。ウェーバーは,宗教の生成発展を社会の階層や政治・経済的な利害に連関させて考えた点でマルクスと共通していたが,ひろく世界の諸宗教をその内面から比較しつつ類型化を試みた点ではミュラーの方法を継承したということができる。彼の類型理論では,世俗外宗教と世俗内宗教,神秘主義と禁欲主義,達人(カリスマ)宗教と大衆宗教などのように二分法的な理論枠組みが目だつが,なかでも重要なのは宗教を〈使命預言型〉(キリスト教)と〈模範預言型〉(仏教)の二つに分ける考え方である。前者はプロテスタントのように,神の道具として神を賛美する生き方をあらわし,後者は多くの仏教徒のように,仏性の容器としてみずから仏そのものになることを理想とする生き方を意味した。
ついで第3に考えなければならないのは,宗教の諸様式・諸類型を個人の内側から心理学的に把握しようとする流れについてである。その流れの原点にフロイトがいたことはさきにふれた。しかし宗教の機能をいわば否定的にとらえたフロイトに対して,その門下から出たC.G.ユングは宗教経験を普遍的(集合的)無意識に関連づけて,むしろ積極的に評価した。すなわち原始以来の民族的な経験がわれわれの心の深層に集積されて宗教意識の母胎をなし,それが精神の成熟にも深く関与していると考えたのである。このほか,神学者のR.オットーのように宗教体験の基礎に神秘的な畏怖の感情(ヌミノーゼ)を想定する見方や,文化人類学者のB.マリノフスキーやA.R.ラドクリフ・ブラウンのように宗教と不安の相関関係を重視する立場,あるいはアメリカにおける宗教心理学の基礎を築いたE.D.スターバックやW.ジェームズのように,宗教的な回心を人格的な成熟の問題に結びつけて考えるいき方などがあった。そしてフロイトの流れとアメリカ心理学の伝統を統合した形で,宗教に対する新しい見方を打ち出したのがE.H.エリクソンである。エリクソンによれば,宗教的カリスマの精神-心理的な中核は,彼を取り巻く共同体の伝統と信条との同一化に失敗するとき神経症的な危機に陥り,それに成功するとき自己の使命と役割を自覚するという。つまり宗教は人間が自己のアイデンティティを形成するうえで重要な契機をなすと考えたのであり,とりわけその典型例としてルターやガンディーなどの宗教的人間に深い関心を寄せたことは注目される。
最後に,宗教の諸現象を儀礼や祭祀,象徴や神話という網の目にあらわれる社会的な行為および表象と考える流れをあげることができる。これは宗教を,国家や民族の枠を超える比較論的な舞台で考えるのではなく,また個人的な心理の世界に引き寄せて考察するのでもない。一定の地域や民族のうちに観察される宗教的な諸現象を社会の全体のなかでとらえようとするいき方であり,その先達がÉ.デュルケームであった。彼は,社会的な生活を聖の領域と俗の領域に分け,聖領域との間に交わされる共同体の諸関係を至上命令として自己に課するところに宗教行為の源泉があると考えた。宗教儀礼は共同体や社会の連帯を強化し,かつその成員を統合するのに役だつという考え方がそこにはみられる。そしてこのような宗教に対する認識は,その後マリノフスキーやラドクリフ・ブラウンおよび現代のC.レビ・ストロースなど社会人類学や文化人類学の分野で継承され,一般化されるにいたった。ところでさきのデュルケームはオーストラリア社会の研究を通して,トーテミズムがその社会の性格と起源を明らかにする鍵概念であると考えた。トーテミズムとは,ある社会集団と特定の動・植物との間に血縁関係に酷似する関係をみとめる社会制度のことであるが,彼はそこに宗教に関する原初の観念を見いだしたのである。これと同様の見方は,万物に霊的存在(アニマ)を認めるアニミズム(E.B. タイラー),同じ万物に呪力(マナ)を認めるアニマティズム(R.R.マレット),さらには憑霊と脱魂によって他界との交流を重視するシャマニズム(M. エリアーデ)などの分析概念の提唱のなかにもみられる。これらの概念はいずれも,宗教の起源のみならず社会構造的な性格を規定するための概念枠組みとして今日さまざまに用いられている。以上のような宗教に対するさまざまな考え方,学問的アプローチを念頭におきながら,次にわれわれ日本人の宗教意識について考えてみよう。
→宗教学
日本人の宗教は,基本的には民族宗教としての神道に外来の仏教信仰が重なり,それに同じ外来の道教や儒教の要素が加わって複雑に形成された。しかしその中核は神道と仏教の習合関係にあり,一般には神仏信仰(カミ,ホトケに対する信心)として発展した。その発展の過程でこの神仏信仰は,アニミズムとシャマニズムに基礎をおく祖霊観念と結びついてその活動範囲をひろげ,その結果〈神〉は造化神や自然神や土地神をはじめとする精霊や祖霊までを含み,〈仏〉も仏教の仏,菩薩(ぼさつ)はもちろん,それらとは性格を異にする守護神や先祖や死者までを意味するようになった。以下その性格・特徴と考えられるものを3点に分けて考察してみよう。
その第1は,日本人の神仏信仰は目に見えない神(カミ)と目に見える仏(ホトケ)との共存・重層の関係にもとづいて発展したということである。目に見えない神は神霊として特定の土地(山や森)に宿るとともに,空間を移動し各地に憑着して細胞分裂のように分社をつくった。それは分霊・憑依による鎮座の伝播形式と呼ぶことができる。これに対して仏教がもたらした仏,菩薩はいずれも肉体と個性をもつ,目に見える多彩なイコン(図像)として礼拝されまつられた。目に見えない神(または神霊)は人や土地に憑着して託宣を下し神意を伝えたが,目に見える仏,菩薩はその個性に応じた諸種の救済機能を体現していた。すなわち阿弥陀仏は極楽往生,薬師仏は病気なおし,観音菩薩は母の慈愛,地蔵菩薩は子どもの守護,そして不動明王は怨敵の征服といった機能を一目でわかるようにあらわしていた。これに対して神はその肉体性の欠如とともに個性をとくに主張しないのを特色とする。むろん日本の神々にも戦争神(八幡)や農耕神(稲荷)のような機能の分化がみられ,男女の性別も認められたが,大多数の神々は氏神や祖神あるいは山の神や田の神のような無個性的な神としてまつられてきた。また固有名詞をもつ神の場合でも,伊勢神宮における内宮・外宮,春日大社における一殿・二殿・三殿・四殿,伏見稲荷大社の上社・中社・下社のように,祭神の固有名を表にださないのが通例であった。こうして日本人は神と仏の相互に異なった性格を重層させて(神仏習合),独自の神仏信仰を生みだしたのである。
つぎに第2の特徴として,日本の神が祟(たたり)神的な要素と守護神的な要素とをあわせもつアンビバレント(両義的)な存在であったことをあげることができる。もともと姿なき神がこの世にあらわれてなんらかの予兆や痕跡をのこすことを,古く〈タタリ〉といった。エリアーデにならって,これを神の顕現(ヒエロファニーhierophany)といってもいいであろう。しかしやがてこのタタリという観念は神や神霊があらわれて災禍や危害を加えるという意味に変化した。自然災害や社会異変や病気が発生した場合,それは神の〈祟り〉によると解釈されたのである。このようにタタリの意味が変化した理由の一つに,仏教の伝来をあげることができる。というのも仏教は加持祈禱などの儀礼によって,邪霊や疫病(祟りの病原体)を排除する呪術・宗教的な体系をもっていたからである。そこから〈祟る神〉と〈鎮める仏〉という対抗関係が生じ,神仏信仰の中心的なモティーフの一つをなすにいたった。そのため恐るべき祟る神も鎮められ供養されることを通して,福や幸を授ける守護神へと変身することができた。たとえば北野天神は日本の最もポピュラーな神の一つであるが,それは怨みをのんで死んだ菅原道真の霊をまつりあげたものである。道真の死霊ははじめ強大な祟り性を発揮し朝野に恐れられたが,のちに祭祀をうけて守護神の地位に昇り,学問・芸術の神とされるにいたったのである。またこの北野天神のように社会や政治の世界に大きな祟りをなすと考えられた神や神霊の場合,それを祭祀し鎮めるための儀礼にしばしば国家や政治家が関与した。神(神霊)をまつるという聖なる領域に属する行為が,同時に社会の危機的な状況を鎮静し,それによって政治的な効果を期待することを意味したのである。この点は,神の領域と政治の領域とを原理的に峻別しようとした西欧の伝統とは根本的に異なるところであって,日本人の宗教意識に世俗的な性格が認められる重要な理由の一つである。これは換言すればマツリ(宗教=聖)とマツリゴト(政治=俗)の相互補完の関係といっていいが,それは日本の天皇が皇祖神をまつると同時に国民統合の象徴的地位にあるという二重の役割をはたしていることにもあらわれている。こうして神における祟り性と守護性のアンビバレントな性格は,日本における宗教と政治の相互浸透性,聖と俗の重層的な互換性の心理的な基盤をなしているといえよう。またこの聖と俗の重層的な互換性は,現実の必要に応じていくらでも霊験あらたかな流行神(はやりがみ)をつくりだす庶民の宗教的創意性の根拠をなしている一方,それらの神々をまつることによって家内安全,身体健康,病気平癒などの即効的な現世利益を求める庶民の信心の内容をもよく説明するものである。
最後に日本人の宗教に関する第3の特徴は,人は死んで先祖になり,やがて神になるということを自然に信じてきたということである。日本列島の70%以上は山と森におおわれ,各地に庶民の信仰の対象とされる数多くの聖なる霊山が点々と存在しているが,この宗教的風土こそは日本人の祖先崇拝の重要な母体であった。というのも柳田国男がいうように,死後の霊はまずそれらの山や森におもむき,一定の浄化期間を経て祖霊や神霊になると信じられたからである。いわゆる山中他界観が形成されたのであるが,むろん日本にはそれと並んで海上他界観も存在した。しかし一般的にいえば,古い時代から,祭祀すべき聖なる存在は山や森に宿るのに対し,この世から排除し廃棄すべき穢(けが)れや疫病は水中や海中に流すという観念が優勢であったことを忘れてはならない。こうして山や森におもむいた死者の霊は,やがて新旧の精霊または浄化された祖霊や神として里に降り,祝福や幸をもたらすものとして供養をうけ手厚くまつられた。正月行事や盆行事,さらに田の神や歳の神の祭祀がそのようにして行われるようになり,そこからやがて鎮守の神や産土(うぶすな)の神のように里に定住する神も生じた。こうして人は死後,祖霊から神へのコースを遍歴し,やがて一種のストレンジャー・ゴッドstranger godもしくはカルチャー・ヒーローculture heroとして現世を訪れる。そしてこの死者の系譜と祖霊-神の系譜を現世において媒介する場所が,聖地としての山や森であった。山岳や森林は単なる自然的な景観でも対象的な物体でもなかったのであり,ある意味で生者よりもはるかに存在感のある生命体であるかのように感受されたのである。日本人の生活態度のうちに,人間(他者)との関係と並んで,それ以上に自然(生ける自然)との関係を重視する特徴がみられるのもそのためであると考えられる。他者との同志的な一体意識よりも,自然との超現世的な一体感によってよりいっそう生命の充実を経験する,という感覚が育てられたのもおそらくそのためであろう。自然の内部には先祖の系譜につらなる無数のアニマが活動していると想定されてきたのであり,したがってそのような自然に包摂されることを通して生者と死者の連続感・連帯感を確かめようとする心性が,長い間に培われてきたといえるだろう。今日,日本列島の全域にわたって進行している都市化の波のなかでさえ,正月と盆に毎年のように繰り返されているふるさと回帰の民族的行動も,そのような心性に根ざしていると考えられる。そういう意味で祖先崇拝こそは,独自の宗教風土と自然観にもとづいて日本人の宗教意識を根底から方向づけてきたものといわなければならない。日本の支配的な仏教や神道も,そのような祖先崇拝の役割を無視してはけっして今日の教団的な基礎や繁栄を築くことはできなかったのである。
→神 →祖先崇拝 →祟り
執筆者:山折 哲雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界には日常の経験によっては証明不可能な秩序が存在し、人間は神あるいは法則という象徴を媒介としてこれを理解し、その秩序を根拠として人間の生活の目標とそれを取り巻く状況の意味と価値が普遍的、永続的に説明できるという信念の体系をいう。この信念は、生き生きした実在感をもって体験として受け取られ、合理的には解決できない問題から生じる知的、情的な緊張を解消し、人間に生きがい、幸福を与える役割を果たすものとして期待されている。また、信念を同じくする人々が、教会、教団とよばれる共同体を形成する。
[柳川啓一]
前述の定義に含まれているように、宗教という信念体系は、存在の秩序の象徴(宗教思想)、宗教体験、宗教集団という要素からなり、さらに、信念を表す行為が定式化されて、非日常的な神聖な行為として宗教儀礼、祭礼となり、一方、してはならぬ行動は戒律となり、信念を日常生活において実践する宗教倫理が課せられる。哲学、道徳、ナショナリズム、共産主義のようなイデオロギーや社会運動、ときには「ゴルフが彼の宗教」というような趣味までが、宗教の役割を代用することがある。しかし、これらは宗教「的」という比喩(ひゆ)にとどめないと、宗教の概念が広がりすぎる。
宗教のいう存在の秩序というものは、きわめて一般的、普遍的、包括的なものであって、ユダヤ教、キリスト教、イスラムのように、万物を創造し、固有の意志をもった人格的存在としての神を中心に置くものと、仏教、儒教、道教のように、法、理、道という抽象的、非人格的な原理、法則を根底に置くものとに分かれる。すでに原始宗教のなかにも、霊魂という人格的存在の信仰のアニミズムと、呪力(じゅりょく)という非人格的力の観念によるマナイズムの区別がある。もちろん両方の共存もありうる。ギリシアの古代宗教、日本の神道(しんとう)の場合など、人格をもった神々が崇拝されるとともに、これらの神々も従わざるをえない運命とか、天地自然の道という法則が予想されている。
こうした究極的な存在から発して、時間および空間をいかに象徴的に把握するかということも宗教思想の重要な要素である。天国と地獄という空間の構造、仏国土、神国という発想はしばしば認められ、自国を神聖とするナショナリズムとも結びやすい。時間の観念はいっそう豊富に展開し、祭りにおけるように、日常的、世俗的な時間が中断して、非日常的、神聖な時間が訪れる。原始古代宗教においては、それは神話の時代が再現することであった。世俗と神聖の2種の時間がリズムをなして交替する。こうした繰り返しは時間観として円のような永劫回帰(えいごうかいき)の思想ともなる。一方、時間を直線的に考え、ある破局的状態を経て別の世界が現れると説くこともある。こうした発想は終末観とよばれ、世俗的な革命のイデオロギーにも影響を与える。
宗教共同体は、家族、民族、地域集団のような他の目的をもった集団と合致することもあり、信仰の維持、発展のために、同信者だけの集団すなわち教団がつくられることもある。キリスト教の教会、仏教の僧伽(そうぎゃ)、イスラムのウンマのような宗教共同体は、理念としては世俗の権威にかかわりない共同体として結ばれた。こうした超越性が人間の精神活動に与えた影響は大きい。
[柳川啓一]
宗教の定義というものは困難であり、さまざまのものがあるが、その人の宗教の理解の仕方によって分かれる。神観念を強調すると、宗教行動の志向する象徴を重視したものとなり、畏敬(いけい)、神聖感、絶対の随順という感情を目印とするものは、実在感を味わう宗教体験を基礎としている。教団によって支えられた教説、ドグマをおもに宗教とみる見方は、社会的側面からみた意味が含まれている。
宗教を人間の行動の側からみると、宗教の機能ということが強調される。冒頭にあげた合理的には解決できない問題から生じる緊張の解消ということは、このことにかかわる。経験的、科学的にみて効果のある働きと違って、宗教は象徴的効果をもって作用する。これを非合理的とよんでよい。葬式というのは、死体の処理という手続ではなく、死者を無事にあの世に送る意図であるとすれば、その効果は経験的にはわからないものである。このため、宗教は科学以前の不合理な行動様式とみなす立場もある。一方、死者をあの世に送るということは、表向きのたてまえであり、実際には、親しい者を失った悲しみを少しでも解消しようとする働きをもっているともいえる。この場合、宗教的行動は合理的行動と共存するものであり、合理的行動によっては解決できない種類の問題が残る限り、宗教の機能は存続するという立場もある。後者に従えば、情緒的緊張を解消する効果があるとする。
さらに、なぜ死んだかということが、科学的に原因が明らかになったとしても、死の意味については、別の次元で問題として残る。こうした知的緊張が、神とか運命という存在の秩序と関連して説明されることにより解消する。これは「意味の問題」に答える機能である。
一般的にみれば、科学技術、あるいはそのほか社会制度の発展によっても完全に克服することのできない困難として、知的把握を超えた未来への不安、感情的に堪えうる限界を超えた精神的・肉体的苦痛、悪人が栄え、善人が虐げられるというような、抱いている期待と実現した現実との間には道徳的に納得しがたいずれがあり、不安、苦、悪として残ってゆく。神が存在するのになぜこのようなことがおこるのかという神義論もおこり、宗教の取り組む人間の問題はなくならないように思われる。
[柳川啓一]
かつては、現存する未開部族のなかには宗教をもたないものがあるかのように説かれたことがあったが、これは、報告者の宗教観の枠から判断した誤解であった。先史時代の埋葬法、洞窟(どうくつ)壁画、女神像からみても、原始人がなんらかの霊魂観、呪術(じゅじゅつ)観念、神観をもっていたことは明らかである。このように宗教が人類とともに古く、また普遍的であるとすれば、いかにして宗教をもつようになったか。宗教起源論は、恐怖からとか、親愛の念からとか、心理的(心理学的でなく)推測を加えながら、19世紀後半になると、進化主義の理論と原始民族の信仰の資料に促されて、その研究が活発となった。超自然力をもった呪物(フェティッシュ)の崇拝、フェティシズムを最古の宗教とする説を最初として、インド、ヨーロッパの神話に自然神が多いところから、自然崇拝説、霊魂の信仰を起源とするアニミズム説、さらに、アニミズム以前に古い形の信仰があるとするプレアニミズム論のなかでは、超自然的、非人格的な呪力(マナ)の崇拝があるという説が有力であった。また人間と動植物の親縁関係を示すトーテミズムを呪力信仰から解釈したうえで、宗教の原初形態とする説も出た。あるいは、物質文化の貧しい未開部族のなかに、人格をもった唯一神の信仰が多いという証拠に基づいて、原始一神教説も唱えられた。
現在からみると、これらの説は単純な観念から複雑な観念へという仮説によるか、物質文化に基づいた主観的な歴史解釈に基づいて、実証的根拠に乏しいが、宗教の理論のうえには大きな収穫となった。すなわち、人間が経験によって、いかにして超経験的な宗教的象徴を認識したかというプロセスを研究したことになった。タイラーは、夢と死の経験から、目に見える肉体のほかに、見えない存在があり、夢では一時的に肉体を離れ、死において永久に身体から離れる「霊魂」を想定するようになったと推理した。このアニミズム理論においては、宗教的象徴は、夢と死の原因の誤った解釈から生じたものとみている。またデュルケームのトーテミズム起源説は、集団感情の高揚から宗教的象徴が生まれ、集団表象として個人を超越して存在すると述べている。フロイトがトーテミズムを父親殺しと解し、そこに宗教の始まりをみいだしたことは、実証的にはまったく支持できないが、家族関係が象徴化されたものと、神観念との関係を分析している。シュミットの原始一神教説は、原始時代の神の啓示というカトリックの主張の実証であった。こうして宗教起源論はそれぞれの立場においての宗教本質論とみることができる。
[柳川啓一]
進化主義に基づいた段階論、アニミズムから多神教を経て一神教に至るとか、自然宗教から倫理宗教へという過程は、実証的根拠が薄い。しかし、あらゆる宗教をそれぞれの個性に基づいて並列的に扱うことも一方の極端となる。宗教の歴史的発展段階をある程度たててみるとすれば、原始宗教、古代宗教、世界宗教、近代社会における宗教というように分けることができよう。
原始宗教、あるいは現存の未開民族の宗教は、社会構造と一体化している。未開社会は、出生と婚姻による親族組織の秩序によって支えられており、宗教は、親族、氏族、部族の単位を結び付ける精神的統合の役割を果たしている。体系化された教義をもたず、神話によって信仰が表現され、神観念はきわめて流動的である。宗教生活の中心は、季節と結び付いた生産および人生の各段階と結び付いた祭りである。
都市が建設され、部族が統合して政治的には統一が進む古代国家においても、宗教はそれほど質的にはかわりがない。神々の性格は明らかになり、政治的勢力関係を多分に反映して、神話が体系化される。祭儀もまた整えられ、専門の祭司階級が生まれる。とくに支配階級と宗教との結び付きが強く、国王が神そのもの、あるいは神の子孫とみなされることが多い。
世界の四大文明地域でこうした知的停滞を破る革新運動が相次いでおこった。インドのウパニシャッド哲学(前9~前6世紀)、イスラエルの預言者の活躍(前8~前7世紀)、中国の孔子をはじめとする諸思想家の活動(前6~前5世紀)、ギリシアにおけるタレスからソクラテス、プラトンに至る哲学の発生と展開(前6世紀以降)がある。
中国とギリシアの場合は哲学的、インドとイスラエルは宗教的な運動であり、ギリシアとイスラエルは自己の外に超越的な原理をたて、インドと中国は自己の内面の問題の追求という違いはあるが、世界宗教の発生の先駆としてもきわめて重要である。ウパニシャッド哲学がブラフマン(梵(ぼん))を宇宙の最高原理として、法則的な秩序の象徴を確立し、イスラエルの預言者が神の意志による存在秩序を強調した。どの場合においても、マックス・ウェーバーのいう合理化であり、神話、呪術から宗教、哲学を解放したものである。また現世的秩序を批判する根拠を得たことにもなるので、政治と宗教を分離するきっかけともなった。
こうした流れのもとで、釈迦(しゃか)、イエス、ムハンマド(マホメット)という開祖をもつ著明な三つの世界宗教が生まれた。紀元前5世紀にヒンドゥー教から出た仏教、1世紀にユダヤ教から分かれたキリスト教、7世紀にアラビアの民族宗教からユダヤ教とキリスト教に刺激されて生まれたイスラムがこれである。儒教、道教、ヒンドゥー教、ユダヤ教も世界宗教に数えられるが、民族宗教的色彩を脱しきれず、大きく他民族へは進出しなかった。また、ゾロアスター教、マニ教は他宗教との抗争に敗れた。これに比べて仏教、キリスト教、イスラムは、超国家的、超民族的な宗教共同体を基礎として、活発な伝道活動を行い、内部では大乗仏教と小乗仏教、ローマ・カトリックとギリシア正教、スンニー派とシーア派という分裂を起こしながら、世界各地に発展していった。
人間の思想史上に世界宗教が与えた衝撃は、その「現世否定」の考え方である。現世否定は、現世を逃避して来世をこいねがうという単に消極的な意味ではなく、むしろ徹底的な否定のできる根拠としての超越的原理を獲得したこと、家族、国家という地上の権威に縛られない思想が出現したことである。現実に対して順応的であるとみられる儒教においてさえも、政治の現状に対する超越的な批判の軸をもっていて、しばしば為政者から迫害を受けた。
中世、とくに12、13世紀にはトマス・アクィナス、アル・ガザーリー、朱子、鎌倉仏教のような思想の体系化、深化が進んだが、一方、制度としての教団が、自ら世俗の権威となる危険を絶えずもっていた。
[柳川啓一]
近代社会が展開する起点となるのに宗教の力は大きかったといわれる。マックス・ウェーバーは、近代資本主義制度に先行して、この世の職掌の意味を積極的にとらえるプロテスタンティズムがあったという。ピューリタニズムとデモクラシーの深い関係も、イギリス、アメリカにおいてみられる。また一方では、キリスト教は、南北アメリカ、アフリカに分布を広げ、イスラムが中部アフリカ以南に進出したのも近代に入ってであった。しかし一方、制度、文化の分化がいよいよ進んで、宗教は、芸術、道徳、教育、政治という分野から分かれるようになると、宗教の、とくに教団の影響力が薄らぎ、世俗化という現象を引き起こした。啓蒙(けいもう)思想、人間主義、科学の発展が宗教の真理性に対して絶えず疑いをもち、さらに、社会主義の一部のように、宗教の保守的な社会的機能を攻撃して、反宗教を唱えるイデオロギーも現れた。
こうしたなかで、宗教は社会慣習と密着し、また近代文化のひずみを批判して、その独自の領域を防衛することにいちおう成功した。ことに近代の宗教は、来世など死後の世界とかこの世からの逃避でなく、現世の問題に積極的に立ち向かうという方向を示している。
[柳川啓一]
日本の宗教はやや特殊な形をとっている。仏教、儒教、キリスト教という外来の世界宗教を受け入れながらも、民族宗教としての神道もまた絶えなかった。その理由の一つは、信仰の共同体が家族とか村という集団と合致していることである。仏教は「世間虚仮(こけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」(聖徳太子)という否定の論理の衝撃を日本人に与えながら、その後、家の宗教となることにより、超越的原理を失い、家の存続の象徴である祖先崇拝にかわってしまった。宗教自体の目的よりは集団の目標が優先する価値体系となっている。したがって、個人の信仰を強調するキリスト教は、量のうえでは大きな発展は遂げなかった。
神道も仏教も、補完的に両方を信仰することも矛盾ではない。また、生活慣習と密着しているため、意識的には宗教と思っていなくても、日本人一般はきわめて宗教的であるとみなされる面がある。こうした状況を、現在の都市化という社会現象と、新宗教の「教会」を軸とする宗教とが掘り崩すとすれば、日本の宗教状況は大きな変動を起こすと思われたこともあるが、現在は、新宗教も既成化する傾向があり、安定している。
[柳川啓一]
宗教の未来については、現代社会をいかにとらえるかによって見解が大きく二つに分かれる。一つは、近代以降のいわゆる先進社会が歩んできたように、工業化への道がいよいよ全世界的な規模で進められるとすれば、農業を主とする伝統社会が崩れ、人口が都市に集中することになろうという予想のうえにたつ。人間の考え方は、個人主義と合理主義のほうに向かい、宗教、ことに既成宗教はその影響力を失い、非宗教化、脱宗教化現象が強くなるであろう、という見通しである。こうした「神は死んだ」という時代に直面して、宗教は一部の人々にとっての必要物としては残るが、全面的に後退する。宗教の「近代化」を唱える立場は、こうした認識のうえにたって、教団組織の再編成を図り、また、科学主義、実存主義、人間主義などへの適応、調和を図っていかねばならないとする。
もう一方の立場は、経済中心の工業化社会は、資源の浪費、環境の破壊、精神の荒廃、先進社会と後進社会の格差を生んだので、大きな転換を迫られ、近代化の傾向がそのまま続くことはないだろうという推測のうえにたつ。宗教は個人の生活倫理中心であることをやめて、もっと原始的なエネルギーをもった、ある意味では復古的な形になるであろうと、この立場からは予想する。呪術に対する関心の復活などは、一時的ブームにせよ、その現れである。もっと著しい流れとしては、神秘主義への関心であり、心の内面を探求して宇宙とか自然と一体化する体験を重要視する。消極的、逃避的とみられていた東洋の宗教に対する関心が高まっているのも、近代の宗教のもつ「世俗に対する関心と批判」という特徴に対する疑いから出ているところもあろう。
宗教がより近代化した形で続くか、反近代的な様相を示すかは軽々しく断定することはできないが、いずれのほうからも、従来の宗教のあり方が大きく転換を迫られていることは事実である。
[柳川啓一]
『W・R・コムストック著、柳川啓一監訳『宗教――原始形態と理論』(1976・東京大学出版会)』▽『阿部美哉・柳川啓一著『宗教理論と宗教史』(1985・日本放送出版協会)』
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(岩井洋 関西国際大学教授 / 2007年)
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