日本大百科全書(ニッポニカ) 「一指流」の意味・わかりやすい解説
一指流
いっしりゅう
近世槍術(そうじゅつ)(管槍(くだやり))の一流派。一旨流、一枝流、一志流とも書く。流祖は奥州の人、松本長門守(ながとのかみ)定好(1586―1660)、通称理左衛門、一指と号した。1605年(慶長10)20歳のとき槇野(まきの)久兵衛茂俊(しげとし)に従って伊東流を修め、09年にはその奥義に達した。初め羽州の最上義光(もがみよしあき)に仕えたが、22年(元和8)同家の除封後は、山形の鳥居左京亮(さきょうのすけ)忠政(ただまさ)に、さらに上ノ山の土岐山城守(ときやましろのかみ)頼行(よりゆき)に仕えた。ここで同藩に謫居(たっきょ)中の沢庵和尚(たくあんおしょう)に通参し、槍術の奥旨を開悟し、のち江戸に出て一指流を称した。晩年、雲州松江の藩主松平直政(なおまさ)の再三の招きに応じ、同藩の槍術指南役(350石)となり、60年(万治3)9月、75歳で同地に没した。
[渡邉一郎]
『福田明正著『雲藩武道史』(1965・今井書店)』