七嵐村(読み)ななあらしむら

日本歴史地名大系 「七嵐村」の解説

七嵐村
ななあらしむら

[現在地名]四賀村錦部にしきべ 七嵐

松本藩領会田あいだ組で、のち幕府領。西は苅谷原かりやはら村、東は赤怒田あかんた村に接し、保福寺ほうふくじ川の南側に位置する。

天正検地(一五九〇)の際は苅谷原郷の内藤林ふじばやし村とあり、一三九石六斗八升五合の高付けで、寛永一九年(一六四二)の検地差出帳の際は三三五石一斗二升一合と高付けされている。「信府統記」によると「御朱印高百四十五石五斗三升六合」で、享保九年(一七二四)当時の石高は三一四石四升一合、うち田は一六九石九斗九升三合、畑は六二石八斗六升であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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